深い青色をたたえた海―深青海の上に浮かぶ、 ドーナツ型をした大陸―ループグラウンド。 その大陸の上。 そこが、人間と魔物と、そして、この世界の歴史が刻まれていく場所。 大陸は深青海に囲まれており、 大陸の中央、ぽっかりと穴を開けたそこには、 明るい青色を称えた海─明青海が広がっている。 いくつかの戦乱、栄えと滅びの後、大陸は 四つの王国に分かれ、今に至る。 明青海の中央にポツンと浮かぶ 黄金郷と呼ばれる小さな島を、 この世界の中心として地図を作れば、 四つの王国は、北東にイレース王国、南東にリダーゼ王国、西にデリソン王国、 南にフェレスタ王国、という風に描かれることになる。 黄金郷から北東に位置するイレース王国。 この国は、唯一神レスタを崇拝する宗教国家であると同時に、平和主義国家である。 故に、一切、軍事力は保持していない。そこまで徹底する必要があるのかと、 幾度となく反発の声が上がったこともあったが、イレース王は断固として、戦力不保持の 姿勢を崩そうとはしない。 そんなイレース王国には修道士、修道女が多く住んでおり、修道院が国の至る所に 見られる。修道院に加え、医療施設、保護施設が多いのもイレースの街の特徴といえる。 医療の内容も充実しており─治癒系の魔導師が多いのだ─、 イレースの医師─もしくは魔導師─の腕前は、他国からも依頼が舞い込んでくる程だった。 そして、その依頼を蹴ることはない。何処であろうと駆けつけてくれるのは、 この国の民が信仰するレスタ神の慈悲深さに寄るものだろう。 そのためか、イレース王国は他国からの信頼も篤く、 隣国のリダーゼにいたっては、戦力を全く持たないこの国のため 騎士や戦士を遣わせ、北の地からやって来る魔物達から彼らを守っている。 リダーゼ王国。 リダーゼと言えば、戦士を多く輩出する国である。当然、戦士も多い。 首都─ギルダには、戦士認定機関が設けられており、 より強い戦士を育成する戦士学院というものまで存在している。 戦士の多いこの国は、大陸四カ国内、 最大の軍事力を持つ国だと言われている。 大いに武力のある国ではあるが、大らかで陽気、祭り事が多いのも特徴だ。 それというのも、リダーゼ国王の影響だろう。 リダーゼ国王は文武両道、優れた人である。 非常に柔軟な思考回路の持ち主で、よく言えばユニークな人で、 国民としては接しやすい。悪く言えば、王としての威厳というものからはかけ離れた 人だ。 先にも述べたように、 軍事力をもたない隣国、イレース王国に無償で兵を送り、 北方から来る魔物からイレース王国を守っている。 商人の多く集まる国、デリソン王国。 四つの王国の中で、領土は最小だが、人口は最も多く、市場は常に人で溢れている。 他国との貿易も盛んで、色々な国の商品がこの国には集まってくるのだ。 他にも、珍しい作物や、この国でしか採れない宝石の原石、 更には剣や弓などの武器生産の高い技術を持っている。 そして、それらを船に乗せて、他国へと売りに行くのだ。 その代表的な港が、大陸からツンと明青海に 突き出した半島にあるララーン港。この港は世界一大きな港でもある。 国の北側には標高三千メートル級の山脈─アグノレスマウンテンそびえたっており、 北から魔物が侵入してくる恐れもなく、平和で華やいだ国だ。 客商売に携わっている者が多い所為か、国民の人柄は賑やかで愛嬌がある。 南のフェレスタ王国。 百年ほど昔に滅んでしまったが、かつて最強の魔導師一族と謳われていた、 古代カナンテスタ族等の、強い魔力を持つ魔法使いの一族を多く輩出してきた魔法国家である。 魔導師認定機関が設けられており、王国の南東方向にある島には、魔法学院のある魔都─セイアがあり、 全国から魔導師を目指す者たちが多く集まる場所となっている。 魔力や、魔法の心得が無くても簡単な魔法─小さな炎を出す、結界を張る程度のもの─ を使うことが出来る、魔導具などを揃えるのなら、この国が一番だろう。 昔から伝わる伝統やしきたりを重んじる国であり、少々保守的な面がある。 そして、国ではないが、北には、ヒューディスと呼ばれる地方が存在している。 荒い波が打ち付けてくる所為で岸壁が削られていき、今では複雑に入り組んだ入り江が 明青海につきだしている。 その複雑な地形の所為か、黄金郷を中心に、 常に右回りに渦を巻いている明青海の潮は、 このヒューディス沖にさしかかると、どんなにベテランの船乗りでも必ず避けて通るほど、 荒く、不規則な波模様になっている。 ヒューディス地方には樹海が多く広がり、そこには巨大で凶暴な魔物たちが棲んでいる。 かつてはヒューディス王国が存在していたのだが、北の荒野に棲む人語を話し、 他の魔物達を操る術と、その背に漆黒の翼を持つと言われている叡智な魔物 ─後に人々から魔王と呼ばれた─の襲撃によって、十数年前に滅んでしまった。 それ以来、この地に新しく国が築かれることはなく、 今では入り江に住む海賊たち以外に、人間は住んでいない。 世界各地に棲む魔物や、人の金品を狙う賊たちによる被害は絶えないものの、 国同士のいざこざや国内での反乱もない今。 四つの王国が生まれ、その歴史が刻まれ初めてから、 最も平和で、華やいでいる時代だと、今の世を誰もが称えるだろう。 そしてそのことを強調するかのように、今日、お祭り好きなリダーゼ王国で、 今年に入って何度目かの祭りが盛大に催されていた。 英雄祭である。 この英雄祭は、三年前から毎年卯花月に開かれている祭り。 三年前、リダーゼ国王から、北の地で暴れている魔物─魔王の討伐を命じられた一人の戦士が、 見事魔王を討ったことを称えて開かれる祭りだ。 リダーゼ王国中の街は華やかに飾られ、あちらこちらで楽しそうな人々の笑声が響いている。 デリソン王国からわざわざこの祭りのためにやって来たのだろう、商人たちの威勢の良い声もする。 リダーゼ国民だけではなく、他の三国からもこの祭りを見に人々が集まってくるのだから、 商人たちにとってはいい商売になるのだろう。 そんな賑やかな街から少し離れた原っぱに、一人の少年がごろりと寝転がっていた。 ポカポカと眠気を誘う陽気と、爽やかな草の香りに包まれている少年は、穏やかな笑みを口許に浮かべ、 目を閉じていた。その傍らには、彼の身長の半分程もある、細く、長い剣が横たえてあった。 年の頃は十六、七くらいだろうか。優しく、そして整った顔立ちには、 まだあどけなさが残る。 薄い上着を着ている彼の胸に、膨らみがなかったからこそ、 そこに横たわっているのが少年なのだと言うことができた。それほど、 彼の容姿も、少年にしては華奢な体つきも、まるで少女のようだった。 それに加えて、日に焼けない体質なのか、決して青白いわけではなく、健康的な白い肌。 さらりと流れている少し長めの髪は、その白い肌によく映える茶金髪だ。 どこをとっても称賛に値するものがある。ある人は美しいと言い、 またある人は可愛らしいと形容するだろう。 中性的。そんな言葉がよく似合う少年だった。 [キュー] 突然耳元で聞こえた甲高い鳴き声に、少年は閉ざしていた瞼をゆっくりと持ち上げる。 その瞳の色は大陸の中に広がる明青海と、 晴れ渡った空と同じ、澄んだ青。 そしてその青い瞳には、少年らしい好奇心の光があった。 [キューイ] もう一度鳴き声をあげたものに、少年は穏やかで、それでいて快活な笑みを浮かべると、 草の上に横たえていた体を起こす。その拍子に、肩を少し過ぎるくらいの髪が、さらりと音をたてた。 「やあ。遊びに来たの?」 [キュウ] 少年の問いに、そうだと頷く代わりにそいつはまた鳴いて、ピョンと少年の肩に飛び乗った。 掌にちょうど乗るくらいのそれは、白いフワフワの毛に全身を覆われており、 小さな赤い目が二つ、細長く平たい足と小さな手のある・・・小型の魔物だった。 人々が忌み嫌い、戦士や魔導師が報酬のために好んで殺す生き物。 それが、魔物。 いつの時代でも、人と魔物は敵同士。常に殺し合ってきた。 共存なんて夢のまた夢。いや、今まで共存を唱えようものはいなかったし、 いたとしても、誰も耳を傾ける者はいなかっただろう。 だが、少年はそんな魔物に対して、まるで友達に話しかけるような気軽さで笑顔を向ける。 「砂遊びでもしてきたの? 砂だらけだぞ」 小さく笑いを洩らしてから、少年は魔物の体についている砂を、パッパッと払ってやる。 毛の奥の方にまで入り込んでいる砂まで払ってもらった魔物は、満足したように鳴くと、 甘えて少年の頬に体をすり寄せ始める。 「くすぐって〜」 頬に当たるフワフワの毛がくすぐったくて、笑いながら肩をすくめた少年は、 肩に乗っている魔物をそっと掌に包んで膝の上に降ろす。 [キューッ] まだ構って欲しいらしく、魔物は小さな手を器用に使って少年の服をよじ登り、 胸ポケットの中に潜り込んだ。しばらくポケットの中でゴソゴソ動き回った後、 彼はその小さな手に何やら金色に光るものを抱えて顔を出した。 「あ───、それはダーメ」 [キュ?] 魔物がポケットから出したのは、金色に輝く六角形のバッジ。 中央には二本の剣が交わっている模様が描かれ、剣刃の交わった部分には少年の瞳と、 そして明青海と同じ色の宝石が埋め込まれていた。 魔物の手から、そっとそのバッジを取り上げた少年は、 魔物に言い聞かせるように彼の瞳を見つめて言う。 「コレはオレの大切なものなんだ」 少年に取り上げられてしまった金のバッジを諦めきれない魔物は、 小さな手を精一杯バッジに向かって伸ばしていたが、 バッジが少年の胸元に付けられたのを見てとうとう諦めたらしく、 残念そうに鳴いた。 「ごめんな。コレはやれないんだよ」 申し訳なさそうに言って、魔物の頭を優しく撫でてやる。 「代わりに、コレあげるよ」 しゅんと項垂れてしまった魔物を見て、少年はゴソゴソとポケットの中を探ってから 赤いビー玉を取り出し、彼に差し出した。あらかじめこうなることが予測できていたのか、 それとも最初から彼にそのビー玉をあげるつもりだったのか・・。用意のいいことだ。 [キュウッ] 目の前に差し出されたビー玉に、魔物は元気を取り戻し、 嬉しそうにそれを両手で受け取る。 この種の魔物は、キラキラ光るものが好きなのが特徴だ。 彼らの巣にはガラスを始め、一体何処で集めてきたのか、 指輪やネックレスまでもがため込まれていた。 [キュウ〜〜] しばらく満足そうにビー玉を眺めていた魔物だったが、 キラキラと太陽の光を浴びてきらめく少年の胸元のバッジがやはり気になるらしく、 「お願い、ちょうだい!」とでも言っているのだろうか。 キラキラお目めで少年を見上げてくる。 「・・コレ? うーん、やっぱダメ。 また今度もっといいのやるから、今日は勘弁してよ。な?」 [キュゥ] ごめんな、と片目を瞑って手を合わせた少年に、魔物も今度こそは諦めたようだった。 再び手に持っているビー玉で遊び始めた魔物に、少年はホッと安堵する。 このバッジは、 どうしてもあげられないのだ。 何故ならば、これは、少年が戦士である証─戦士証だったからだ。 戦士証とは、リダーゼ王国の王都─ギルダに設置されてある戦士認定機関が年に二度行う、 戦士になるための試験に合格した者だけが戦士として認められ、そしてその証に国から与えられるものなのだ。 戦士証の色は三種類に分けられている。中央にある青い宝石は変わらないが、 土台となるものの色がそれぞれ異なっているのだ。 一つは、少年の持っている金の証。二つ目は銀の証。そして三つ目は青銅の証。 その三つの証は、試験の結果によって、与えられるものが異なるシステムになっている。 試験の結果がよければ、戦士最高位の第一級。 そして次に第二級。 第三級と続いている。 つまりその戦士のレベルに応じて、三つの級に分けられているのだ。 そして、どの級にせよ、戦士証を持っている戦士には、魔物を退治すればその大きさ、 数によって国から報酬がもらえるという賞金制度にあやかることができる。 金の証を持っているこの少年は、戦士最高位の第一級 に認定されている戦士。 何千、何万とも言われる受験者の中で、試験に見事合格し、 戦士証を与えられるのはほんの一握り の人間だけだと言われている。 そんな超難関とされているこの試験を十代の若さで・・、 しかも初試験で、いきなりゴールドクラスと認定されたのは、 この戦士認定制度が始まって以来、彼で二人目だった。 だいたいの者が何度か試験を受け、次第に級 を上げていくものなのだ―それも簡単なことではないのだが―。 二人目、ということは、彼の前にも十代でいきなりゴールドクラスに認定された者がいるということだ。 それは、二十四歳という若さで魔王を倒したとされ、今日人々に称えられている英雄その人であった。 二人目の天才剣士として戦士たちの中では有名だが、 この華奢な少年がその天才剣士だということを、この戦士証がなかったら一体何人の人が信じてくれるだろうか。 そう言った意味でも、この戦士証は大切な物だった。 「う――――ん、いい天気ッ☆」 傍らでビー玉を転がして遊んでいる魔物から、澄んだ空へ視線を転じた少年は、 思い切りのびをして、そのままバフッと草の上に仰向けに倒れ込む。 胸一杯に爽やかな空気を吸い込んで目を閉じた。・・・と、その時だった。 [キュ――――――――ッ!!!] 遠くから次第にこちらへと近づいてくる騒がしい魔物の鳴き声。 「何だ?」と思う間もなく、少年はムキュッと何かに顔を踏まれ、 胸一杯に吸い込んだ空気を一気に吐き出してしまっていた。 「ブハァッ。な、何だ何だッ!?」 ガバッと跳ね起きた少年の顔の上からコロリと転げ落ちてきたのは、 少年の傍らにいるのと同種の魔物だった。 [キュー! キュッキュゥ!!] 「? そんなに慌ててどうしたの??」 甲高い声でけたたましく鳴きながら、少年の背後に逃げ込んだ魔物に、 何が起きたのか理解できない少年と、ビー玉で遊んでいた魔物とが、面食らって首を傾げる。と、その直後。 「そこのヤツ、退いて!」 すごい勢いで近付いてくる足音と共に、少年に向かって唐突な命令が飛ぶ。 「は??」 咄嗟にどうすることも出来ず茫然としている少年に構わず、 彼に退けと言った当の本人は、彼が退いていないにも関わらず、 「ファイア――――――――!!!!」 「えぇッ?! うわあぁ――――――――っっ!!!!」 [キュ――――――――ッッ] 持ち前の運動神経の良さで地面に突っ伏した少年の頭上を、 ものすごい勢いで炎の塊が通り過ぎていった。 ゴオオォォ―――――・・・ ドゴォッッ!! ドオオォ・・ン。 「な、な・・・・」 自分の頭上を通り過ぎた後、そのまま木をなぎ倒し、ようやくその姿を消した炎の塊に、 少年は目を白黒させる。それ以外にリアクションの取りようがない。 突然炎をけしかけられる経験など、今までにあるわけもないし、 これからもそんなにはないだろう。そう言った意味では、なかなか貴重な経験かもしれない。 だが、あまり喜ばしいものではない。ってゆーか、金輪際あって欲しくない。 「邪魔よアンタ、退きなさい! 死にたいの!?」 唖然としている少年を叱咤したのは、少年と同じ年くらいの少女だった。 理知的な光を放つ黒眼に、クルクルでフワフワの長い黒髪。 ふっくらした頬にキュッと結ばれた小さな唇。静かで、それでいて挑戦的な瞳の所為か、 外見より大人っぽい雰囲気が彼女の周りには漂っているようだった。 そんな美しいと賞賛されて然るべき容貌を持つ彼女なのだが、その口から 出るのは何とも乱暴な言葉ばかり。 「あぁ、もう、じれったいわねー。いつまで腰抜かしてんのよ! まったく、これだからガキは嫌いなのよっ」 「ごっ、ごめんなさ――い!」 ちっと舌打ち付きで吐き捨てるように言った少女に、思わず少年は謝ってしまっていた。 が。 「・・・って何でオレが謝んなくちゃなんないんだよォ。 もとはと言えばアンタが急に攻撃してきたんじゃないか」 そう。どう考えても全く少年に非はないのだ。 だが、そんなもっともな少年の反論に対して少女は・・。 「うるさいわねー、黙りなさいよ! 私はアンタなんかの相手をしてる場合じゃないのよ!」 「あぅ〜〜〜っ」 自分が悪いわけではないのに、 思い切り怒鳴られてシュンとなってしまった少年には目もくれず、 少女はキョロキョロと辺りを見回す。・・・と、 「あっ、こら! 逃げるんじゃないわよっ」 少年の相手をしている内に、彼女の追ってきた魔物がコソコソと逃げようとしているのを見て、 少女は再び怒鳴る。そして手に持っている杖を振り上げた。 「覚悟! ファイア――――――――!!」 [キュ――ッ] 彼女の振りかざした杖から勢いよく飛び出した炎よりも先に 、逃げることも出来ずにいた魔物を捕らえたものがあった。 少年だ。 俊敏な動きで、二匹の魔物をそっと掌に包んだまま、炎を避けて飛びすさる。 魔物を捕らえることの出来なかった炎は、あっけなく地面に突っ込み、少し草を焼いただけで消えてしまった。 完全に仕留めたと思ったのに、あの少年は魔物を庇い、 なおかつ攻撃をあっさりと避けたのだ。屈辱に頬を染めて、少女はヒステリックに叫ぶ。 「何で邪魔するのよ!」 「コイツが、何かしたの?」 「したわよ!」 声をあらげる少女とは反対に、静かに訊ね返した少年に、 更にカッとなった少女は、間髪入れずにそう答えた。 「私のネックレスを盗もうとした上に、私に攻撃してきたのよ!」 彼女の言った通り、そのふっくらとした頬には、魔物が付けたのだろう爪痕が 僅かに窺える。そして、彼女の胸元には、黒い紐の先に付けられた綺麗な青い石があった。 水晶か何かだろうか。美しく澄んだその青い石は、太陽の光を浴びて、キラキラと輝いている。 光り物の好きなこの魔物のことだ。ついつい欲しくなってしまったのだろう。 「まずね、それ以前にソイツは魔物なのよ? 魔物を殺して、何が悪いわけ?」 一つ息を付いて、高ぶっていた感情を落ち着かせた後、 彼女は少年が胸に抱いている二匹の魔物を冷たく見遣る。 今日のところは魔物が小型だったから、こんな程度のかすり傷で済んだけれど、 もしもこれが大型の魔物であったなら、そうはいかない。実際に、今も世界中の何処かで、 魔物に傷つけられ、命を失っている人がいるかもしれないのだ。 自分たちの存在を脅かす魔物を殺して、一体何が悪いというのだろうか? 国だって、魔物を殺すことを奨励し、報酬まで与えてくれているのだ。 自分は何も間違った事はしていない。 むしろ世間的に見て間違っているのは、忌むべき魔物を庇っている少年の方なのだ。 そんな侮蔑の色を込めて少年を見つめていた少女は、自分の言葉を聞いて不意にその澄んだ瞳を曇らせた少年に、 僅かに眉を寄せる。 徐に開いた少年の唇から零れた言葉に、少女は更に眉を寄せたのだった。 「人のも魔物のも、奪っていい命なんて、一つもないよ」 「!? 魔物は人間を襲うのよ? 私たちにとっては不必要な存在なの。 アンタはそんなことも分からないの?」 「違うよ。魔物だって好きで人を襲っている奴ばかりじゃないんだ」 自分の言葉に必死で言い返してくる少年に、少女は呆れたように言った。 「アンタ馬鹿でしょ。魔物は悪。忌むべき者以外の何者でもないわ」 「違うよ」 「違わないわよ」 何を言っても聞く耳を持たない少女に、少年は溜息をつき、彼女に背を向けて歩き出す。 ようやく自分の邪魔をする気がなくなったらしい少年に、 少女は勝ち誇ったような笑みを口許に浮かべ、少年の後ろ姿を見送る。 少年は少女が見送る中、そのまま去っていくのかと思われたのだが、 突然ピタリと歩みを止めて、腰をかがめた。腕に抱いていた二匹の魔物たちをそっと降ろした後、 少年は何か別の物を手に取る。首を傾げる少女の前で、 少年は草の中に埋もれていた物を手に振り返る。 その手に握られているのは、彼の身長の半分以上もある、細く長い剣だった。 白く塗られた鞘。その鞘に収まった剣の柄には、 やはり鞘と同じ、白い紐が巻かれ、滑りにくくしてあるようだった。 鞘を覆うその白色の中で目を引くものがある。 青だ。 雲間に覗く、澄み切った空に似た青。鞘の根元に収まっている菱形の石。 だが、それは鞘の方にではなく、剣の方に埋め込まれてあるようだった。 あとは、白と、鞘の中に収まる鋼の銀。ただそれだけの、色彩。 簡単な装飾だ。飾りを削り、少年の持つスピードを少しも損なわないよう、 軽くできているようだった。 「・・・何よ。やる気?」 何も言わずにスラッと剣を抜いた少年に、 少女は手に持っていた杖を構える。負ける気はしなかった。 その瞬間までは。 「――え」 鞘を捨てたその次の瞬間、地を蹴った少年の姿が、少女の視界から一瞬消える。 そして、次の刹那、彼は少女の目前にまで迫っていた。 「ソード!!」 少年のスピードは予想以上のもので、少女は逃げることも出来ず、 鋭く呪文を唱えただけだった。 咄嗟に使った魔力なんてたかがしれている。 きっと少年はそれを剣で切り裂いて、次に自分を。 しかし、 「えっ?」 少女は驚きの声を上げていた。何故ならば、少年が、何もしなかったのだから。 そう、本当に何もしなかったのだ。 彼女を攻撃することも、彼女が放った魔力の刃を切り裂くことも、 避けることすらもせずに、彼は振りかざしていた剣をおろしてしまったのだ。 肉を切り裂く音がして、その後に少年の口から痛みをこらえるような声が洩れた。 「いってェ――――」 切り傷というのは、まるで熱を発しているかのような痛みを伴うもので、 少年は腕の傷口を押さえてしゃがみ込んでしまった。 しばらく唸った後、少年は勢いよく顔を上げる。 「ま、これくらい舐めときゃ治る!」 そう言って本当に腕の傷を軽く舐めた少年を、茫然と見ていた少女は、 ハッと我に返ると、彼に向かって怒鳴った。 「な・・・、何やってんのよアンタはっ!」 「ほーらな」 「・・・・・は?」 地面に座り込んだまま自分を見上げニッコリ笑って言った少年に、 少女は思わずすっとんきょうな声で訊ね返していた。 少年はもう彼女に付けられた傷のことなんて忘れてしまったかのように、 ニコニコと少女に笑いかけながら言う。 「アンタだってそうだったでしょ?」 「・・・・何がよ?」 訝って眉を寄せる少女に、少年は笑みを浮かべたまま続ける。 「こうして斬りかかられたら攻撃し返すでしょ? アイツらだって同じだよ」 そう言って少年は、茂みの向こう側から自分たちのことを窺っている二匹の魔物たちの方に視線を転じる。 「アイツらだって、急に攻撃されたり、剣を構えられたりしたら自分を守るために戦うんだ」 「・・・・・」 今度は少女も、何も言い返さなかった。 少年に斬りかかられたとき、自分を守るために少年に攻撃を加え、傷付けた。 ネックレスを盗もうとした魔物にカッとなって攻撃しようとしたけれど、 魔物は自身を守るた めに攻撃をしてきたのだ。自分と魔物の行動に、どんな違いがあるというのだろうか・・・。 そう。少年が言ったように、自分も魔物も、同じ理由で牙を剥いていたのだ。 「ほら、オレたちと何も変わらないでしょ?」 「・・・」 ニコニコと自分を見上げてくる少年に、少女は少し呆れ顔で彼を見下ろす。 彼の腕の傷からは、まだ血が出ている。痛みもあるだろうに、彼はきっとその傷を誰に付けられたのかも、 もう覚えてはいないだろう。彼にとっては、そんなことはどうだっていいことなのだろう。 ただ少女に、自分たちと魔物たちとが、何ら変わりないことを伝えたいだけだったのだから。 「――――・・変なヤツ」 ポツリと言って、少女は手に持っていた杖を消した。 それは、現れたときと同様、音もなく空気に溶け込むようにして消えていった。 [キュ〜] ちょこんと茂みから顔を覗かせている魔物たちに、ニッコリと笑いかけてから、 少年はおいでおいでと彼らを手招く。タタタ、と駆けてきた魔物たちはまだ怖い顔をしている少女を少し気にしながら、 少年の足にのぼった。 「もう大丈夫だよー」 チラチラと少女の方を気にしている魔物たちをそっと腕に抱き上げて、 少年は彼らを安心させるように微笑んでみせる。 それから少女のネックレスを取ろうとした方の魔物─少女から言わせてもらえば、 この少年がうり二つと言ってもいいほどに同じ姿形をしている 魔物を、どうやって見分けているのかが不思議で仕方ない─ に目を向けて、少年は少し怒ったような顔をして見せた。 「いいか? 勝手に人のモンは盗るんじゃないぞ」 別に断れば盗ってもいいというわけではないが。 叱られた子供のようにシュンとなってしまった 魔物の頭を撫でながら、何やらポケットをゴソゴソしていた少年は─こんな場合に備えて 常備しているのだろうか─、またビー玉を取り出した。先程の一匹にあげたのと同じ大きさだが、色は緑だ。 「ほら、コレやるよ」 [キュ] 少年から渡されたビー玉を大事そうに抱えて、魔物は礼を言うように鳴いて、少年の手に体をすり寄せた。 「また新しいのが欲しくなったらオレのトコにおいでよ。今度はまた違うのやるからさ」 その少年の言葉に、二匹の魔物たちは嬉しそうに鳴く。 「じゃあ、またな」 ピョンッと地面に飛び降りた魔物たちに別れを言ってから立ち上がり、 去っていく彼らの後ろ姿を見送っていた少年は、自分たちのやりとりをただじっと眺めている少女に、改めて声をかける。 「ところでさ、アンタ魔法使い?」 突然の不躾な質問に、少女は嫌味交じりに答える。 「・・見て分からない?」 「分かるよ」 少女の嫌味も気にせず─もしくは気づかず─、少年はニコニコしたまま彼女に話しかけた。 「旅してるの? パーティーの人たちは?」 「・・・してるわよ。一人でね」 「ふーん。でも何で一人なの?」 普通旅をするときは何人かでパーティーを組んで、と言うのが定番なのだが・・。 しかも彼女は女の子だし、他にも仲間がいた方が安全だろうに。 不思議そうに訊ねた少年に返ってきた答えは、単純明快だった。 「人間が嫌いだからよ」 とても分かりやすい答えだ。 「・・・・・はぁ。そう、なんだ」 「そうよ」 ツンとしていった少女に、少年は少し困ったように笑ってから、思い切って彼女に言う。 「ね、オレとパーティー組まない? オレ、戦士なんだ」 それは、「アンタ人の話聞いてた!?」と誰もが思い切りツッコミたくなる台詞だったのだが、 彼女がツッコんだのはそこではではなく、 「えぇっ!? 戦士? アンタ戦士なの!?」 ここだった。 少女はまじまじと少年を凝視する。確かに剣を持ってはいるが、 ただそこいらにいる、戦士志望の少年だろう。くらいにしか思っていなかったのだ。 何故なら少年のその少女めいた風貌に、剣などというものが全く釣り合わなかったからだ。 大袈裟に訊ね返してきた少女に暗に「戦士には到底見えないわよアンタ」 と言われたも同然だったのだが、気を悪くした風でもなく、彼は大きく頷いて見せた。 「そうだよ♪ オレ、人を捜しに行こうと思ってサ」 「・・人?」 「そ。ヒューディスの方にいるらしくて―――」 「アンタが捜してる人って!?」 ヒューディスという地名を出した途端に顔色を変え、勢い込んで訊ねてきた少女に、 少年は僅かに首をひねりつつ、彼女の質問に答える。 「・・・ルウって人だけど?」 「―――・・そう」 少年の答えを聞くなり、この話題にはもう興味が失せたらしい。少女は適当な返事を返しただけだった。 意味の分からない少女の言動に首を傾げたのだが、聞いてみたところで彼女からは何も返ってきそうにない。 と言うことで、少年はもうそのことについては訊ねないことにしたらしい。 「あー、でさ、北の方には凶暴な魔物が多いって聞くから、魔法使いがいてくれたら心強いな、って思って」 というのは半分本当、半分ウソだ。魔法使いがいてくれたら、 と思う理由の残りの半分は、初めての旅だから、一人じゃナー・・・。 ということだった。だから実は、誘う相手は魔法使いでなくてもいいわけなのだが、 何となく魔法使いと言うと、色々便利なことを知っていそうだし、戦士ときたら魔法使いだろう! と、そんな不純な動機がありまくりなわけだが、やはりこうした本音は、彼女には言わない方がいいだろう。 「ダメ、かな?」 「・・・北、か。そうねー・・」 腕を組んで瞳を伏せた少女は、やはり北に何かあるのか、そう呟いてから少年の方に視線を遣った。 「いいわよ」 「えっ? ホント!?」 はっきり言って、人嫌いでパーティーと組んでいないと言う彼女から、良い返事 が返ってくると思っていなかった少年は、彼女の答えを聞くなり、パッと表情を輝かせる。 「やったぁ―――ッ!」 「ただし!」 「・・・ただし?」 「ただしお金を払ってくれたらね」なんて言われてしまったらお手上げだ。だが、 「アンタ、強い? 級は?」 少女の問いに、少年はホッと安堵してから、胸元にあるゴールドクラスの戦士証を堂々と指さしてみせる。 「へぇ――、意外ね」 少女の感想に、少し拗ねて頬を膨らませた少年は上目遣いに少女を見上げる。 「何だよォ。そう言うアンタはどうなのさ」 少女は何も言わずに、小さな袋をゴソゴソしてから取り出したものを、少年の前に差し出して言った。 「私もゴールドクラスよ」 彼女が持つのは、戦士証と同じ形をしたバッジ。戦士証には二本の剣が描かれているのに対し、 彼女の手にあるバッジには、何か呪文のようなものが中心の青い宝石を囲う様に刻ま れてある。魔導師証だ。 魔導師にも、魔導師証というものが与えられ、戦士証と同じく、 第一級、第二級、 第三級の三つの級に分かれており、 戦士認定試験日と同じ日に、フェレスタ王国に設置されてある魔導師認定機関によって、 魔導師になるための試験が実施されるのだ。 彼女が誇らしげに持つゴールドクラスの魔導師証を見て、少年は楽しそうに笑って言った。 「よぉーし、ゴールドクラス同士で最強パーティーの結成だッ」 「私も北に用があるの。その用事を済ませるまでよ。足手まといになるようだったら、即捨てるからね」 あまりにも素っ気なく言いきられて、少年は少しむくれる。 「ひどいナ――」 「はいはい。いい子だから、黙りなさいねー」 自分の頭をおざなりに撫でて子供扱いする少女に、 少年は更にむくれて頭に置かれた少女の手を、首を振って落とす。 「子供扱いするなよなー。そんなに歳変わんないのに」 あまり歳が変わらないどころか、少女の方が少年より年下のように見えなくもない。 だが、彼女はきっぱりと言い切った。 「アンタより十以上は年上よ」 「ええ!? ウソ! アンタ歳いくつ??」 派手に驚いて訊ね返してきた少年に、少女は眉を寄せて答える。 「レディーに年を聞くなんて失礼ね」 「あ、ごめん」 素直に謝ったものの、少年はまだ気になっているらしく、彼女の年齢から話題を逸らさない。 「うーん、でも、どう見てもオレより年下か、百歩譲っても同い年だよね、アンタ」 疑ってくる少年をギッと睨みつけてから少女は言い返す。 「アンタアンタって言うな。私には、ティスティーって名前があるのよ」 「そっか。ごめん」 「分かればいいのよ」 素直に謝った少年に、少女─ティスティーは満足そうに頷く。 しかし、少年の方はまだ満足していないらしく、根気強く訊ねる。 「で、歳は?」 ティスティーの方はと言うと、少年のしつこさに少々うんざりしたように溜息をついた。 「・・・アンタねー、人にものを訊ねる前に、自分のことをまず言いなさいよ」 ティスティーにそう言い返された少年は、確かにそうだと頷いた後、 ニッコリと極上の笑みを浮かべながら、 握手を求めて右手を差し出した。 「オレ、アノン、十六歳。職業、戦士。よろしくな、ティスティー」 北を目指して、アノンとティスティーの、旅の始まりだった―――。 |