☆ラヴ・コメディーの始まりだよ





 西暦U−74年。4月14日。木曜日。


「朝、か・・・」


 眠りから覚めた太陽が顔を出し、宵闇を照らし疲れた月が地平線に埋もれる。
 そうした風景から人々が知るのは、朝の訪れ。
 Gg戦から75年近くの歳月が過ぎた。
 人口を激減させ、 地球の形さえも変えてしまったのではないかとまで 言われている大激戦 Gg戦、 その世界大戦の記憶を持つ者はほとんどいなくなってしまってしまっていた。
 かつて人類が全盛の繁栄を誇った頃は、100歳に限りなく近かった平均寿命は、 今や80を切っており、戦争経験者の多くは既に他界していた。
 しかし、Gg戦の存在はいつまでも消えない。その傷痕は、75年を過ぎた今でも残っている。
 それが、非公認の街フォール シティーの存在だった。
 戦後、政府が認定し、移り住むよう定めた首都都市メインシティー。しかし、そこに移り住ん だ者は、ごく僅か。 戦争によって財産を全て失った者、親を亡くした孤児、戦争を引き起こした政府に 希望をなくした者は皆、戦争によって壊れたfall cityに住みついた。
 75年の歳月が流れた今でも、それは変わっていない。 今でも非公認の街フォールシティーは存在し、そこに人々は暮らしている。 しかし、実質上、公認の街メインシティーと機能、人口共に何ら変わり はないのだが。
 同時に、空に浮かんだ太陽も、フォールシティー、メインシティーの区別なく、 公平にその光を与えてくれている。
「リコ! レヴィ!」
 朝っぱらから元気な声が、とあるフォールシティーに響き渡る。
 その声は、四角い箱を二つ積み重ねた形の家から聞こえてきたようだった。
 言っても、見渡してみればそのcityの家はどれも箱のような 四角い形をしている。未だ頼りない朝の光を浴びて、白い建物が 鈍い輝きを放っている。それはまるで、月光のよう。
 いつもと同じ、Silvery cityの、朝の風景。
 J-area、JAPAN cityから二つフォールシティーを過ぎた場所に位置するフォールシティー。そこは、白く四角い建物の建ち並ぶ、世界中のフォールシティーの中でも比較的大きなcityだ。夜になると、月明かりに照らされた白い建物が銀白色に輝くことから、この街は、Silvery cityと呼ばれるようになったのだという。
 銀白色も姿を潜め、朝の日差しを受け始めたcityに、再び元気の良い声が響く。
「起きろッ!!」
 Silvery cityのちょうど中心辺りに位置するこの家でも、いつもと同じ朝の風景が訪れていた。
「はぁい!」
 朝食の用意をしていた青年の耳に、少々間をあけてから返事が届く。
 二階から聞こえてきたのは、寝起きで少し掠れてはいたが、明るいソプラノ。 その声は鈴を転がしたように高い。けれど、決して耳障りではない、愛らしい声。
 青年と共に暮らしている少女の声だった。
 愛らしい少女の笑みを思い出し、青年は知らず口許に笑みを浮かべていた。
 スラリと背の高いその青年は、 名をシャオと言った。年は、二十歳に達するか達しないかといったところだろうか。 くせのない黒髪は短く、瞼にかかる前髪は、 額の真ん中できっちりと分けられている。そこから覗く瞳の色は、冷たく澄んだ宵闇を思わせる黒。
 肉薄の頬と、尖った顎の線。鋭ささえも垣間見せるその整った顔立ちは、どことなく近寄りがたい印象を見る者に与えかねない。良く言えば、クール。悪く言えば情が薄く、冷めた人間だと見られがちな容姿をしていた。
 では、周囲の反応はというと、
「シャオさんと喋るのって、何か緊張するのよね〜」
 という人と、
「何言ってんのよ。あのクールな所がイイんじゃないのォ
 という人とに、大きく分けられていた。
「よし、できた」
 低く、耳に心地よい声で呟いたシャオは、皿を手に歩き出す。その皿には、綺麗な三角形のサンドいッチが並べられていた。
 今朝の朝食だ。
 上は白いカッターに黒のベスト。下は黒いズボン。そして、清潔感漂う真っ白なエプロンをつけたシャオは、両手に皿を持ち、キッチンからテーブルへと向かう。
 が、彼の向かう先にあったテーブルは一つだけではなかった。キッチンを出るとそこには丸や四角のテーブルが、いくつも置かれている。いくつも、と言うからには一つや二つではない。それこそ至る所に、だ。
「何人住んでるんだよ
う!?」
 と、思わずつっこまずにはいられない程の数。
 そして、そんなテーブルの上には、それぞれ2、3個ずつイスが上げられている。
 外に出てみれば、その理由もよく分かるだろう。
 そこには、『Eden』と、大きく書かれた看板が掲げられてあった。その看板の隅には、『cafe』という文字も見える。
 そう。ここは喫茶店。テーブルが十や二十あっても何ら不思議はないというわけだ。
 そんな幾つものテーブルの中から、シャオは迷うことなく店の一番奥のテーブルに皿を置いた。そこが、彼らがいつも朝食を取るテーブルになっていた。
 カウンターとテーブルとを何度か行き来したシャオは、三人分の朝食をテーブルの上に並べ終えるとイスに腰を下ろした。
 この家には、彼を合わせて三人の人間が生活しているのだが、昔から、朝食を作るのは彼、シャオの仕事だった。
 理由は簡単。彼を除く二人は、朝、自分で起きてくることのない人種だったからだ。ことに、先ほど呼んでも返事をよこさなかった少年―レヴィに至っては、起こしに行かなければ永遠に眠り続けているのではないかと思われるほど眠ることが好きな人間だった。・・まあ、腹が空けば起きては来るのだが。
 シャオが、リコ、レヴィと、三人で暮らし始めてから、既に五年の月日が経つ。
 彼らに、血の繋がりは一切ない。
 それを不思議に思う人間もいるようだったが、 とうの本人たちにとっては、血の繋がりなどというものは、 どうでもいいことだった。
 鼻腔をくすぐるコーヒーの香りに、思わず一口、口に含む。それから溜息を零し、シャオは低い声で呟く。
「・・・・遅い」
 起きろという呼びかけに対し、少女が返事をよこしてからかなりの時間が経つ。だが、下りてくるまだ気配はない。しかし、彼女が二度寝をしているわけではないのだということを、シャオは知っていた。おそらく彼女は支度中なのだ。
 この家に来たときには11歳の子供だったリコも、今年で17歳になる。思春期に突入した彼女は、最近ではきちんと顔を洗い、髪を整えてから下りてくるようになった。昔は本人も周りの人間もそんなことは、気にも止めていなかったというのにだ。たとえ家族同然の仲ではあっても、人に寝起きのままの姿を晒すことに、躊躇いを覚えるお年頃なのだろう。
 では、もう一人、やはり思春期まっ只中の少年はと言うと、
「アイツは・・・・・・まだだな」
 確信を持って呟く。
 アイツことレヴィとは、九つからの付き合いになる。それこそ、『お母さん』には、兄弟のようにして育てられた仲だ。
『お母さん』という人に、二人は育てられた。シャオもレヴィも、彼女と血の繋がりはない。本当の母親ではないのだ。だが、シャオにとって彼女は、紛れもなく唯一の母親だった。
 彼は、本当の両親の顔を知らない。何処にいるのかも、何故側にいてくれないのかも知らない。そして、物心ついたとき、何故『お母さん』が自分を育ててくれているのかということに疑問を持ったシャオが、彼女に訊いてみたところ、
「アナタが一人でいたから、連れてきちゃったの」
 と、「ええッ!? それって人攫いなんじゃ!?」と目玉をひん剥いて問い詰めてみたくなるような答えを、彼女はサラリとよこしてくれた。
 そうして『お母さん』と出逢ったとき、シャオは三歳だったらしい。
「いくつ?」
 と訊ねた『お母さん』に、幼い日の自分が「三つ」と答えたのだと、シャオはそう聞かされている。
 そして、
「どうしたの?」
 と訊ねた彼女に、自分の母親が死んでしまったのだと口にしたそうだ。
 彼は、そのことを覚えていない。だから、幼い日に己が口にしたというその言葉が、真実なのかどうかも分からない。だが、無理に知ろうとも思わなかった。本当の両親のことを思い、胸を痛めたことも、泣いたこともない。
 彼には『お母さん』がいたから。愛してくれる『お母さん』がいたのだからそれでよかったのだ。
 そして、『お母さん』が病気で死んでからも、自分と同じく『お母さん』に拾われ兄弟のようにして育ってきたレヴィがいた。未だ幼い彼を守ることで、彼は『お母さん』がいない淋しさを紛らわせることが出来たのだ。
『お母さん』がいなくなって一年後。そして、今から五年前の、雨の日。この家に新しく一人の少女がやってきた。
 彼女を連れてきたのは、レヴィだった。
 どうしたのだと問うたシャオに彼は、雨の中、この子が一人で座っていたから連れてきたのだ、と答えた。その台詞が『お母さん』が己に向けて口にしたものと同じだったことに驚いたのを、シャオは今でもはっきりと覚えている。
 レヴィも雨の日に捨てられ、『お母さん』に拾われたからだろうか。彼は、捨て犬や捨て猫を見つけるたびに、拾って帰ってきた。『お母さん』もそれを咎めることはしなかったし、シャオも決して咎めることは出来なかった。
 その少女―リコも、彼の拾ってきたモノの内の一つだった。
 人間を拾ってきたというレヴィを見たときには、さすがにシャオも驚いた。人間を拾ってくるレヴィにはもちろんだが、おとなしく拾われてきた少女にも驚いた。そして、その少女があまりにも無表情だったことにも。
 ここに来たばかりのリコを思い出したシャオは、 すぐに瞼裏に満面の笑みを浮かべた彼女を思い描く。そうして、 雨の雫と無表情とを顔に張り付かせ、 唯一、その大きな瞳にのみ感情を宿らせていた、遠い日の彼女の姿を消す。
 けれど、彼女の瞳にあった、見ている者の方が胸を締め付けられる悲しい悲しい色を、シャオは完全に消すことが出来なかった。
「・・・」
 コーヒーをまた一口、口に含む。
 少し、冷め初めているようだった。







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