「火群。お前ももう一人前の天狗。名をやろうかえ。朱い髪に、朱い瞳の、可愛い妾の子」 母様から、昊天朱眼坊の名を頂いてから、十年の月日が流れた。そして、名前を頂くと同時にオレが住み処として与えられたのがこの雛菱山。 緩やかな山道で、来る者を拒まぬ山。春には麓の桜、夏には山が緑に染まり、秋には頂上の紅葉、冬には真っ白な雪化粧。四季折々の姿を持つ美しい山。 その山の頂上にそびえ立つ巨木。その上に、オレの塒があった。 地上からは見えない高い高い位置。そして、空を覆い尽くす枝葉の奥に隠れた塒からは、ふもとの村が見える。 小さな小さな、陽稲村。 オレの雛菱山には、山の幸を求め、陽稲村から村人がやって来る。 そして、頂上の巨木をご神木と呼んで参ってくる村人を、この雛菱山は拒まない。険しさを持たぬ緩やかな山。だから、人嫌いの兄弟たちはこの山を嫌っていた。 だが、オレはというと、そうでもない。人間たちを眺めているのは、結構、好きだったから。 だから母様も、オレにこの山を与えたのだろう。 この山に住み始めてからは、好き勝手に山中を飛び、村に降りては人を眺める。そして、時々、悪戯をかます。それだけで、時は楽しく過ぎた。 だが、そればかりでは、悪神として村人にやっかまれて追い払われてしまう。 「さあさ、若! 仕事をせねば、飯にはありつけませぬぞ!!」 母様がお目付役としてオレの元に置いていった鴉の丈爺にせっつかれ、時々、村を助ける。 太鼓で雨を招き、扇で疫病を払い、獣を脅して遠ざけ。まあまあ、それなりに村の為に頑張ってみたりして。 働かざる者食うべからず。 今のところ、ご神木の根元にある祠に 届けられる村人からの供物が尽きない程度には、オレの頑張りは認められているようだった。 自分なりに上手くやれている自信はある。村人からも「天狗様、天狗様」とチヤホヤされて、まあまあ重宝されてるんじゃないかと思う。 そんな折り、ふと思いついた。 「よっし。いっちょ確かめてみっか♪」 自分がこの村人たちに、どれだけ必要とされているのか確認してみようではないか、と。 「若、お止めなさいって」 丈爺は大いに呆れていたけど、 「いいじゃん。興味ねー?」 勢いだけで、オレは陽稲村の村主の家に、矢文を打ち込んでやった。
村で最も美しく、最も力のある者を、我が花嫁に。
明くる満月の宵、我が祠に参らせよ。 さすれば、永遠の庇護を。 オレ様が村を守ってやるし、美人を嫁にくれよー。 くれないときは、分かってるよなー? と、分かりやすく要約すれば、そういうコト。 いや。別に、本当に嫁が欲しかったわけじゃない。 ・・・まあ、隣山の兄天狗、流天司晨坊─相樂から、 「おい、火群〜。早く嫁を貰え。最高だぞ★」 と、日々惚気を聞かされ続け、「えー。そうなのかなー??」と思ったりしたのも、この妙案を思いつくのに一役かってはいるわけだが。 何より、丈爺の 「お止めなさいって、若。万が一にも本当に嫁が来たらどうするんです。若に嫁を養う甲斐性なんてないでしょうに」 これがトドメ。 「あぁん!? 嫁の一人や二人、余裕で養ってやろうじぇねーか」 と、まあ、そんなこんなで、決行してしまったわけなんだけど、あくまで目的は嫁を貰うことではない。 陽稲村の人たちの、オレに対する思いがどれほどか、それが知りたかっただけ。 可愛い娘を差し出してでも、村の庇護者としてオレを求めてくれるのか、否か。 「若。悪趣味ー」 「うっせー。面白けりゃいーんだよ」 本当に花嫁が差し出されたその時には、一人にんまりと笑って、気分良くまた村を守ってやろう。花嫁が望めば、親の元へ返してやってもいい。嫌がる娘を無理矢理娶るのはよろしくない。そこまで悪趣味じゃねーし、オレ。 「そもそもね、来ないんじゃないですか」 「ん 。大いにあり得るんだよなァ。ま、それでも別にいっけど」 花嫁が差し出されなかった時には、「オレってばまだまだなのね」と一応反省して、今まで以上に精進することにしよう。 「それどころか、祓われちゃったりして」 「ん 。それも大いにある得る!! ま、いいさ」 悪しき神として山から追い払われることになったその時には、大人しく追い払われてやろう。この山は気に入ってたから、ちょっと名残惜しいけれど、他にも穏やかな山はあるだろう。 花嫁が寄越されるか、それとも綺麗に無視されるか。 計画を実行に移したその時には期待が僅かにあったのだが、いざ冷静になって考えてみると、後者の可能性が大。すぐに期待は萎えた。 だから、す〜っかり忘れていた。 あれから、三日後。満月の夜。 「あ。爺、昨日、満月じゃなかったか?」 思い出したのは、満月が地の向こうに姿を消し、代わりに朝日が昇った頃だった。オレを起こしに来た爺の顔を見て、ふと思い出した。 す っかり忘れていた。ってか、思い出した方が奇跡と言ってもいいかもしれない。 「あ!!! バカ若 !!!」 絶叫をかまし、丈爺が慌てて塒を飛び出して行った。 いやいやいや、バカって 爺も忘れてたじゃん。 きっと、村では、 「あー。良かった★ 天狗、来なかった」 と、村人たちが安堵しているところだろう。 だらしなくはだけた襦袢姿のまま、一応、寝床に体を起こす。 「眠ィ。寝直すかなー」 が、眠気は去ってくれそうにない。ボリボリと頭をかいていると、出て行った時以上の、丈爺の絶叫が下から聞こえてきた。 「わっ、若 !! 若 っっっ!!!」 「いやァ、年なのに、朝っぱらから元気だなー」 いっそ関心しつつ、寝乱れた服を直す。 あの様子だと、どうやら下がオモシロイことになっているらしい。花嫁の代わりの供物でもあるのか、もしくは本当に花嫁が居るのか。 「・・・居たら、待ってたってことか?」 すっかり忘れてオレが寝こけている夜中、真っ暗な祠の前で、待っていたと。 満月の光はあれど、遠くに獣の声が木霊する山中で一人、 不安にかられながら一晩中待っていたのだとしたら。 「・・・・・」 そう思うと、支度の手が少しだけ早まった。 「若!! 早く降りておいでませ!! ちゃっちゃと!!」 「はいはいはいはい!!」 言われたとおりちゃっちゃと着替えだけ済ませ、塒を飛び出す。 「眩しー」 朝日のまぶしさに目を焼かれながら、一瞬、落下に身を任せるが。 「よっと♪」 すぐ羽を広げる。 黒い黒い、翼。 人はこれを見て、大抵、目を逸らす。人の目にはこの翼が禍々しいものとして写るらしい。 「若!!」 爺の声に急かされて慌てて翼を羽ばたかせる。下を見遣れば、 「 」 祠の前に、たくさんの供物が並べられていた。他にも、何が入っているのか分からないが、たくさんの籠も並べられている。 そして、その中央に、 「 マジかよ」 簡素だが白無垢を着た花嫁が一人、座っていた。 オレの羽音に気付いたのか、空を見上げた花嫁は、真っ直ぐにオレを見つめてきた。 黒い羽に怯えさせてしまったかと思ったが、 花嫁は自分の前に降り立ったオレを真っ黒な瞳で見つめたまま。恐怖で固まった、という わけではなさそうだ。その大きな瞳に怯えの色はない。 まじまじと、興味深げに見つめてくる。 …いっそこっちのほうが居心地が悪いっての。 年の頃は16、7くらい、か。 黒曜石のように深く黒い瞳は、水滴を垂らしたかのように僅かに潤み、美しい。 白い滑らかな肌。対照的に、小さな唇は紅で朱く染まっている。 細く長い黒髪は、結い上げられることなく、肩を過ぎ背中に流れている。 華奢な体から伸びる腕は、細い。 たおやかな美貌の少女。 そして、その身の内には、確かに常人よりも遙かに強い霊力が収まっているのが一目見て分かった。 「おー、美人じゃん♪」 「これ、若」 思わず口笛を吹いたオレの頭を、丈爺が嘴でガツガツとつつく。 美しい花嫁についテンションが上がったが、 「 あれ?」 こんな娘、村に居ただろうかと、ふと疑問が湧く。 花嫁衣装の所為で、印象が違っているせいかもしれないが、記憶にない。 首を捻りながら立ち尽くすオレを見上げて、花嫁はにっこりと微笑んだ。 「お待ちしておりました」 「 」 それは、本当に言葉通り待ち遠しくオレを待っていましたと言うように、嬉しそうな笑みだった。 ・・・・どうすっかなー。 そういえば、もしも花嫁が寄越された時のことを考えるのを忘れていた。 ってか、まさか本当に花嫁が寄越されるとは思ってもいなかったものだから、考えようともしていなかった。 そんなオレの頭をつつき、爺が促す。 「若、若。取り敢えず、上へ行きましょうぞ」 「そ、そうだな。さあ」 促すと、花嫁はすっと立ち上がった。が、 「あっ」 「おい!」 夜通しそこに座り続けていたためだろう、一歩を踏み出すと同時に足をもつれさせた花嫁に、慌てて手を差し伸べる。 臆することなくその手に縋ってきた花嫁は、僅かに頬を赤らめる。 「お手を煩わせましてすみませぬ」 「いや、オレが待たせた所為だしな」 気にするなと声を掛け、手を貸したまま歩き出す。 花嫁の手は細かった。 それはおなごらしからぬ、柔らかさのない細い手。 「 」 身形も器量も良い。何より、気品がある。武家の娘であると言われても納得できるほどだ。だが、そうではないのか? この手の細さは、裕福さを知らぬ者のようだ。 他の村から身寄りのないおなごが人身御供のために買われて来たのだろうか。そうして、オレに差し出されたのだろうか。 そうであれば彼女の顔に見覚えがないことの説明も付く。 そんな可能性に辿り着き、その時初めて、「しまった」と後悔の念が湧いた。 自分のお巫山戯の所為で、この娘の運命を狂わせたのだとしたら、申し訳なさすぎる。 「・・・歩けるか?」 「はい」 憐れな花嫁のために、優しくしてやらねばと思い訊ねた問いに、彼女は是と答えたが、 「若!」 「分かってるって。おい、無理すんな」 「え? わっ」 本来ならば、巨大な神木の幹の中にある階段を上がれば塒まで辿り着けるが、白無垢を着ている花嫁、しかも一晩中冷たい大地に座り込んで固まった足では難儀だろうと、丈爺にせっつかれて、花嫁を横抱きにする。 「 ん?」 そこで、オレは眉をひそめた。 やっぱり、細い。ってか、肉なさすぎじゃないか? 「あ、ありがとうございます」 「怖かったら目ェ瞑ってろ」 「いえ。空、飛んでみたかったので」 バサリと翼を広げると、花嫁は物珍しげにその漆黒の翼を見つめた。 「翼、すごい!」 大人びた美貌が、一気に好奇心旺盛な子供のあどけなさを纏う。 「ふ。変わった奴」 大抵の人間は、この漆黒の翼を見れば怯えるのに。 花嫁を抱え、一気に空へと舞い上がる。一瞬声を上げオレにしがみついてきた花嫁だったが、すぐに彼女は眼下へと視線を巡らせた。その瞳が、好奇心に輝いている。 空を飛びたいと言ったのは、本当のことらしい。 眼下に広がる山の緑、ふもとの陽稲村、その向こうに流れる鷹栖川。 黒曜石の瞳を輝かせながら、花嫁はオレの塒にやってきた。 そして、今、 「ちょっとよろしいですか」 「え?」 花嫁は塒に着くなり、潔すぎる勢いで白無垢を脱ぎ、髪を一つに結わえ、唐突に掃除を始めた。 まあ、確かに掃除なんて滅多にしてなかったけど。まさかホントに花嫁が来ると分かっていたら、ちょっとはキレイにしたんだけど。いや、マジで来るとか、思ってなかったしなー。 そして、オレが心の中で言い訳をしている内に、花嫁はサクサクッと掃除を終え、今度は、 「天狗様も、我々と同じ物をお食べに?」 「・・・ああ」 「良かった。では、準備します。朝食はまだでしょう?」 朝食の準備を始めた。 花嫁は、臆することなく天狗であるオレに話しかけてくる。そして、答えが返ってくると、嬉しそうに笑う。その理由が、全く分からない。 「もうすぐで出来ますゆえ、お座りくださいませ」 「お、おう」 天狗って結構怖がられてると思ってたのは、オレだけか? ぼんやりと座っていると、花嫁の手で全てが整えられていた。 今、卓の上にはこれまで並んだこともない、きちんとした朝食がある。そもそも朝食を摂ること自体が久しぶりだ。 ・・・美味そー。思わず唾を呑む。 兄天狗が早く妻を娶れと言っていた理由がちょっと分かったような気がする。 「さあ、冷めませぬ内に」 「あ、ああ。いただきます」 「いただきます」 そう言って手を合わせた花嫁だったが、箸を持つこともなくじっとオレを見つめている。 何だ? と思いつつ、朝食を口に放り込むと、小さな声で問うてきた。 「お口に合いますか?」 「・・・美味い!」 心配そうな声に、素直に答える。 思わず口をついて出たのは、世辞でなく、本音。 「それは良かった」 「・・・・」 オレの答えを聞いて花嫁は、また、笑う。嬉しそうに。そして、小さな皿に盛った白米を、丈爺へと差し出した。 「鴉様には、これを」 「おお、すまぬな。儂は丈と申す。そなたは若の嫁。若と同じく、丈爺と呼ぶことを許そうぞ」 「ありがとう存じます」 「・・・・」 正直、困惑しているオレを余所に、爺は嬉しそうだ。ってか、すんなり嫁としてコイツを受け入れているのは、どうだ。 「若。このような食事にありつけるのはいつぶりでしょうな」 どうやらオレが文句も言わず朝からきちんと食事をしているのが嬉しいらしい。どうせオレは一人では何にも出来ないししたくない物ぐさだよ。 丈爺の嫌味を無視し、花嫁に目を向ける。 「ってかお前、爺の声、聞けるんだな」 「え? 喋っておいででしょう?」 きょとんとするけど、お前、普通の人間なら丈爺は「カーカー」言ってるようにしか聞こえねーんだよ。 けれど、この花嫁は丈爺の声を聞けるらしい。それだけで普通の人間とは比べものにならない程力が強い。 「お前、力強いのな」 「母が、白拍子で・・・その所為かと。私は母似なのです」 舞うことでその身に神を降ろす巫女、白拍子。武士や貴族のお遊びに付き合わされている遊女にも等しい白拍子の多い中、花嫁の母親は本物の白拍子だったのだろう。そして、この娘が母似ということならば、きっと美しい女だったに違いない。 「掃除、洗濯、料理、お裁縫、一通りは出来ますゆえ、多少は天狗様のお役に立てようかと思います。それなりに力もございますゆえ、お手伝いできることがありましたら、何なりとお申し付けくださいませ。天狗様の花嫁として、力を尽くします」 そして、ふんわりと花嫁は微笑んだ。ゆっくりと花が花弁を広げていくような美しい笑みだった。 「・・・・」 まさか、こんなに出来た花嫁をよこされるとは思ってもみなかった。 本当に、村で一番美しく、村で一番霊力を持った者。 こんなにも出来た子をよくも手放せたものだと、いぶかしくさえ思うほどに。この娘ならば、引く手数多に違いない。それを天狗に嫁がせようと思う親がいることが信じられない。 申し分のない花嫁。 ただ、未だにオレは素直に喜ぶことは出来ないでいた。 一つ、気になっていることがある。 その所為で、朝からずっと眉間の皺が取れない。 こんなに出来た者が嫁としてオレの元に寄越されたことへの疑問もその皺の 原因だったが、 もう一つ、そんなことよりも、もっともっと気になっていることがある。 もしかして、この花嫁は 「天狗様のお申し付けでしたら、何でもやります。ただ」 そう。何でも出来ると言う花嫁だが。 もしかして。 「閨のお相手だけはご勘弁くださいませ。私、おなごではございませんので」 「 !!!」 矢張り、男!!!!!!!!!! 思わず口の中の白米をぶちまけそうになりつつも、何とかそれを堪える。 「・・・・・・矢張り」 一人驚くオレを余所に、 「分かっておる。気にすることはない」 「え? え?? 気にしなくて良いことですか?」 爺は勝手に話を進めている。 いやいやいや、気にしなくちゃダメなことだ、爺。 抗議の声を口から出す程の気力は残念ながらまだ生まれてこない。 「・・・いや、うすうす、そうかなー、とは」 確かに華奢で美しいが、おなごらしい丸みの一切ない細い腕と腰に、すぐに「あれ?」と疑問には思ったのだ。が、「いや、まさかこの美貌だぞ」とその疑問を一蹴したのだが、矢張り、そうだったらしい。 オレの元に来たのは───男の花嫁。 「・・・・お前、名は?」 「藤貴と申します」 「 藤貴。藤貴、ね。そう、男、ね」 オレが手放しに喜べなかったのは、この所為だ。 村から花嫁が差し出されたことを知った時は、正直、嬉しかった。 オレってばかなり大事にされてんじゃん♪ とテンションが上がったが、「あれ? 花嫁?? 嫁?? いや、まさか、いやいやいや。花嫁、だし。でも、ん?」渦巻く疑問符がオレの眉間に皺を刻ませたままになっていたが、ようやくそれも解けた。 ある意味、疑問が晴れてすっきりした。 ───ってか、力が抜けた。 「なあ、藤貴」 「はい。何でございましょう」 「何故お前が・・・男児であるお前が、花嫁に選ばれたんだ?」 一つ疑問が晴れたところで、別なる疑問がわき出て来る。 何故、男の花嫁を寄越されたんだ、オレ。 もしかして、オレって、村人から馬鹿にされているのだろうか。もしくは、馬鹿だと思われているのだろうか。 お前は男でも娶っとけ、って? もしくは、馬鹿天狗は気付かねーだろ、ってなもんか?? あ。オレが男だって知らなかったとか? いやいやいや、コイツ、女の姿で来たんだから、分かってたんだよな。 やっぱり馬鹿にされているのだろうか。 一人がっくりと項垂れるオレに、もくもくと食事を進めながら、花嫁─藤貴は困ったように笑った。 「いえ、村主様もみんなも、とても迷ったんですよ。でも」 言って娘─ 否、彼が袂から取り出したのは、オレが村主の家に送り込んだ手紙。 村で最も美しく、最も力のある者を、我が花嫁に。 明くる満月の宵、我が祠に参らせよ。 さすれば、永遠の庇護を。 ・・・・・これが、何? 首を捻るオレに、藤貴はにっこりと笑いながら言った。 「村で一番の美人は私でしたし、霊力が一番強いのも私。それに、おなごと指定されていなかったものですから、私が花嫁に」 「 」 待てよ、おい。 オレは盛大に項垂れる。 だって、普通、書かないだろ!? ってか、花嫁って書いてある時点で、おなごに決まってんじゃん。 それよりもまず、コイツ、自分が一番美人って言い切ったぞ ・・・まあ、たぶん、そうだろうけど。 うろんげな顔をしているだろうオレにおっとりと微笑みながら、さらに藤貴は言った。 「・・・それに、私しかいなかったのですよ。いなくなっても誰も悲しまない子供って」 「 」 藤貴は、笑って言った。 ・・・今の、笑って言うような台詞だったか? きっと、村人も分かっていたのだろう。おなごを差し出さなければならないことを、村人は当然分かっていた。けれど、分からないふりをした。どうしても、彼を差し出したかったから。どうしても、可愛い娘を差し出したくなかったから。 だから、村で一番美しいのだからと言って、村で一番霊力があるのだからと言って、 藤貴に押しつけた。 そして、それを、この男の花嫁はきっと黙って受け入れたのだろう。 「・・・お前は、何故受け入れた?」 恐ろしかっただろう。 男の花嫁なんて、巫山戯ていると天狗の怒りを買い、殺されるのではないかと、恐ろしかったに違いない。 けれど、藤貴は言った。 「相手が、貴方だったから」 「?」 そして、また微笑んだもんだから、何故、オレが婿だったら、お前がやってくる? その疑問を問いそびれてしまった。 「それに、陽稲村にやってきてすぐ、唯一の肉親である母は他界しました。この世の何処にももう肉親はおりませんでしたから、私が一番適任だったのです。だから、私が行くと自ら申しました」 そして、自分が行くと言った彼を、きっと誰も止めなかったのだろう。 誰もが皆、気の毒そうな顔をして、けれど、心の中ではほっと安堵の溜息を零しながら、彼を送り出したのだろう。 思わず黙ってしまったオレに、初めて花嫁は表情を曇らせた。 「・・怒っておられますか?」 「い、いや」 怒ってはいない。 何と言うか・・・憐れに感じたというか。 「返しますか? 私を」 そう問う藤貴の曇ったままの顔に、オレは首を捻る。 「・・・帰りたくはないのか?」 天狗と共に暮らすことを思えば、たとえ母を失い一人きりだとしても、村で暮らす方が良いだろうに。まして、人身御供として差し出されたこの場所を彼が望むとは思えない。 けれど、 「ここに居てはなりませんか?」 ここに居たいのだと、訴える瞳で、問い返された。 「 居たいのか? こんな処に」 「貴方のお側に」 「・・・・」 オレはますます首を捻る。 な、何だ? あ!! オレ様に惚れてるってのか?? いやいやいや、そもそも、会ったことがないはずだ。 困惑するオレに気付いたのだろう、藤貴が慌てて言った。 「あ! ご迷惑でしたら、勿論、出て行きますゆえ」 男の花嫁なんて困りますよねー、と笑いながら箸を置いた藤貴に、オレは溜息を漏らす。笑ってるようで、笑えてないんだよ。 気にしないでと無理して笑っているのが見え見えで、聞かずにはいられなかった。答えはもう分かっていたけれど。 「お前、行き場はあるのか?」 「・・・何処なりと」 言って、ふんわりと藤貴は笑った。 何処にだって、行ける。だって、帰る場所が何処にもないのだから、何処にだって行ける。 「 」 崩れぬ微笑の奥の哀しい瞳に気づかぬふりなど、もう出来ない。 ああ、もう、降参だ。 「分かった。此処に居ればいい」 「ありがとうございます!」 藤貴があんまりにも嬉しそうに笑うもんだから、オレも思わず笑ってしまっていた。 何故ここでこんな風に笑うことができるんだ。 本当に、変わった奴。 隣では、息を詰めていた丈爺が、ほっと安堵の溜息を漏らしたのが分かった。 そもそも、丈爺は最初から花嫁が男であることを知っていたのだ、きっと。真っ先に、「けしからん!! 若を馬鹿にするにもほどがある!!」と激昂する気性の爺が、なぜだか今ばかりは黙って彼を受け入れようとしていた。 それもまた解せない。 「良かったのぅ、藤貴」 「ありがとうございます、丈爺様」 「若はぶっきらぼうに見えて、情に厚い方。無下にそなたを追い出すことはされますまい。安心して暮らすがよい」 「はい!」 「おいおい。勝手に決めるなよ、爺」 「おや、では追い出しますか。この子を」 「いや、追い出さねーけど」 いやに藤貴の肩を持つ。爺も彼に同情したんだろうか。その疑問を晴らす前に、藤貴がオレの顔を間近に見つめ、再びその面に笑みを咲かせた。 「ありがとうございます! 天狗様! 丈爺様も!」 「若は物ぐさ故、ご自分では何も出来ぬ。よろしく頼むぞ、藤貴」 「はい! 子は成せませぬが、他は頑張りますので!」 「 」 健気にとんでもない発言をかます藤貴に、カーカーと丈爺は呑気に笑っている。 「あ。失言でした?」 くすっと笑いながら小首を傾げた藤貴に、オレは溜息を漏らしながらも 「いや」と手のひらを振って見せた。 「もう、いい。分かった。元はオレが求めたのだしな。お前が飽きるまで、此処に居ればいい」 「ありがとうございます!」 また、嬉しそうに笑うもんだから、オレも「もう、いっか」ってな気分になってくるもんで。一緒になって笑っていた。 もう、いいか。 藤貴の無邪気で、けれどどこか切ない笑みを見ていると、そんな気分になってしまっていた。それに、この変わった人間としばらく暮らすのも、なかなかに面白いかもしれない。そう思えた。 「・・・見た目によらず、変わった奴だな、お前は」 こんな若輩者の天狗の所に、男の身でありながら嫁いでいってやろうというその度量がそもそも凄い。繊細な美貌からは想像も出来ない肝の据わり方。そして、帰っても良いのだと言ってやったにもかかわらず、ここに居たいのだと願う。 相当に変わっている。 思わず笑ったオレに、藤貴は微笑する。 「貴方も、お優しい方です」 「・・・・見た目によらずって?」 「ふふふ」 「否定しろよ」 「では、そんなことありません」 「どっちを否定したんだよ」 天狗の前で、楽しそうに笑う。 そして、ひとしきり笑った藤貴はすっと体を折り曲げ、膝の前で三つ指をついて言った。 「どうぞ、末永くよろしくお願いいたします」 「なんだ、それ」 冗談なのか、本気なのか、面を下げた所為でその表情からは読み取れないが、たぶん、半分くらいは本気だろう。 変な奴。だが、面白い。 ちょっとした悪戯心が、思わぬ結果をこの塒に連れてきた。 見目麗しく、強い力を持ち、家事もそつなくこなす、申し分のない花嫁。 ただ一つ、花嫁は、男の子。 だが、悪くない。ってか、おもしれーじゃん♪ 面白ければ、いい。最初の目的は、達成されたのだから。 「爺が言ったように、オレはずぼらだからな。よろしく面倒を見てくれよな」 「はい」 ようやく顔を上げた藤貴は、小さく頷いた後、 「閨のお相手は無理ですよ?」 「分かってる!!」 「ふふふ」 悪戯っ子の顔で笑った。 よく笑う、花嫁。 「おかわり、よそいますね」 「お、悪い」 「儂も頼むぞ」 「はーい」 椀を手に背を向けた藤貴を見遣り、丈爺がカーカーと笑った。 「また変わった人間を嫁に貰いましたのぅ。若」 「ああ。・・・って、嫁って表現、もうやめねー? 爺」 茶碗に飯をよそいながら、藤貴の視線は窓の外。 陽稲村のある方を見ているその黒曜石の瞳が、どんな光を宿しているのかと見遣れば。 「 」 灯っているのは、切ない光。 なんて寂しげな目で見てるんだよ、自分の村を。でも、帰りたい、そんな目じゃあないんだよな。 藤貴はオレに見られていることに気付いたのか、窓から視線を戻す。その瞳の中から、切ない色が消えた。 「はい。どうぞ」 そして、再び笑みを浮かべ、茶碗を差し出してきた。 「・・おう、すまん」 「いいえ」 ありがとうと伝えれば、淡い微笑が途端に華やかさを帯び、咲き零れる。 その様に、オレは飯を口に放り込みながら、問うた 「・・・嬉しーの?」 「はい。誰かとご飯って、良くないですか?」 いつもは振り返ってもそこには誰もいない。そこに誰かがいるのが嬉しいらしい。それがたとえ天狗のオレと、鴉のじじいであっても。 またにっこり笑った藤貴に、オレは天を仰ぐ。 「・・・・参った」 「え?」 「何でもない」 もう、無理だ。そんな顔をされたら、もう、帰れなんて言えねー。 ついに、オレは観念した。覚悟を決めた。 男の花嫁を娶るなんて、兄弟たちから大爆笑を買うだろうが、仕方ない。それも甘んじて受けてやろうじゃねーか。 手にしていた茶碗と箸を卓上に置くと、ビシッと藤貴の鼻先に指を突きつけ、オレは堂々宣言した。 「よし、藤貴。今日からお前の名は、藤、だ。陽稲村の藤貴ではなく、昊天朱眼坊火群の藤となれ。良いな」 オレの言葉に、一瞬きょとんと目を瞠った藤貴だったが、すぐにその面に笑みを戻した。 嬉しい。 その言葉を聞かずとも、その面を見れば分かる分かる程に、はっきりと。 そして、大きく頷いた。 「はい。藤はこれより、天狗様の為に」 「火群で良い」 「 はい。火群様」 嫁入りの日は穏やかに過ぎ、少し欠けた月が上る夜。 丈爺以外の声が塒に響くのは、かなり新鮮で、時が過ぎるのも早く感じた。 夜も更け、丈爺は自分の塒へと戻っていった。去り際、 「初夜ですが、無理をさせてはなりませんよ、若」 「早く去れ! セクハラ爺!!」 下品極まりない爺の台詞にも、藤はくすくすと楽しそうに笑った。 そして、今、オレの横で静かな寝息を立てて眠っていた。 それを見るともなしに見遣り、オレは僅かに首を捻る。 ・・・オレ、天狗なんだけどなァ。 山神だと敬ってくれる人間もいれば、妖怪だと忌み嫌う人間もいる。どちらにしろ、こんな風に無防備な寝顔をさらせるような存在ではないはずだ。 けれど、藤は、違うようだった。 「・・・・変な奴」 だが、悪くない。隣に人の温もりを感じながら眠るなんて、本当に久しぶりだった。 その所為だろうか。 「火群。私の可愛い子。人を愛すのじゃ。憎むことでは何も生まれぬのだから。良いかえ? 火群」 「はい。母様」 母の夢を見たのも、久しぶり。 「火群様。朝です」 温かな手に優しく揺り起こされるのも、久しい感覚。 目の前の美貌に、一瞬、誰だと驚いたが、すぐに思い出す。 そうだ。昨日、オレに嫁いできた、男の花嫁。 「おはようございます。火群様」 「おう。おはよう、藤」 「今日も良いお天気ですよ」 「んー。みたいだなァ」 朝日が気持ちよいと感じるのも、久しぶり。 「よし、仕事しに行くか」 「珍しい! 若が自分から仕事に!! これは雨ですぞ!」 「うるせーな。じゃあ、もうオレの今日の仕事は終わりだ」 そう。村に、雨を降らせにいこう。 きっと、男の花嫁を送ったことでオレが怒っているのではないかと、戦々恐々としているだろう村人たちを安心させてやるために、乾いた大地に雨を降らせてやろう。 「行ってらっしゃいませ。火群様」 「ああ、行ってくる」 見送る声があるのは、初めてのこと。 なかなか、悪くない。 空は、見事なまでに、快晴。 「行くぞ、爺!」 「あい! 若」 少し勿体ないけれど、乾いた大地のために、雨を呼ぼう。 ちょっと いや、かなり変わり者の、花嫁に免じて。 天狗の塒に、美しい花嫁がやってきた。 寂しげな瞳で村を思い、天狗を見て嬉しそうに笑う、変わった花嫁。 嬉しそうに笑いながら、「捨てないで」と怯えた瞳をする、憐れな花嫁。 水滴を垂らした大きな瞳で天狗を真っ直ぐに見つめる、美しい花嫁。 美しいが 男の、花嫁。 「面白ェ♪」 天狗と花嫁の新婚生活は、また次のお噺で。 |