* * snow white snowscape * *




 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 雪が、音もなく舞っている。
 一つ、また一つ、ヒラリヒラリと舞い降りてくる。


 森の奥深く、人が滅多に訪れることのない広場があった。
 純白の村と呼ばれるlily−white hamletを囲む森には、雪の精霊 ─白い精霊が棲んでた。
 満月の夜、精霊たちは森に点在する、木々の生えていないサークル状の広場に集 い、葡萄酒を飲み踊る。その広場は、精霊の踊り場と呼ばれていた。
 春になるとシロツメクサに覆われるshamrock square。
 月の光を浴び、凍り付いた雪が銀色に輝くsilvery square。
 まるで月のように丸く、淡い光を放つ冬の湖、moonlit square。
 そして、森の奥深く、人が滅多に訪れることのない場所に、永遠に溶けることのな い雪に覆われたwhite squareがあった。大きな常緑の木を中央にした広 場。
 その広場にも、雪が降り注ぐ。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 白に染まる中、唯一己の色を固持し続ける常緑樹に。
 決して溶けることのないと言われている雪の上に。
 木の根本で黙し佇む、青年の肩に。
 冷たく冷えきった頬に。
 固く結ばれた唇に。
 悲しい瞳に。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 舞い降りる。
 氷の棺の中、眠り続ける、青年の上にも。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 静寂は、低く、静かな青年の声によって破られた。
「・・・良かったな・・・」
 そっと、囁きかける。
 届いているのかは、分からない。届けたい人は、分厚い氷の中、瞳を閉ざしているから。
 四角く切りそろえられたかのように、美しい長方形の氷。その氷は、一つも空気の 泡を閉じこめることなく、透き通っている。ただ一つ、白い肌に濡れ羽色の髪、穏や かな顔をした青年だけを、その中に閉じこめて。
 雪を愛し、幼い精霊を守るため、人間の銃を自らの身に受けた少年の名は、ハル。
 氷の中、眠り続ける彼の胸元には、未だ溢れたときのままの、鮮やかな血の花が咲 いていた。
 白い肌と、黒い髪。
 白い服と、赤い花。
 一瞬にして目を奪う、その鮮やかなコントラストは、一年経った今でも、色あせる ことなくそこにある。
 Sleeping Beauty──眠り姫。
 white squareを訪れた人は皆、氷の棺の中で眠る美しい人を、そう例 える。そして、目を奪われる。
 そんな彼を愛したのは、気の弱いティナという精霊だった。
 人間を恐れ、それでも、心優しいハルに惹かれていったティナ。自分を庇い死んで いったハルを氷の中に閉じこめ、自らも溶けていった精霊。
 幼く、淡い恋だった。伝えることも出来なかった。
 勇気を振り絞っての口付けは、体温をなくした冷たい唇と。
 ティナの零した涙は、今もなお消えずに残っている。ティナの瞳を離れ、小さな透 き通る石に変わった涙は、ハルの長く美しい髪の上に落ち、彼を美しく飾っている。
 そしてティナもまた、氷の中に溶けていった。
「────・・・」
 彼女を溶かしたのが、white squareに佇む青年─モリだった。
 愛していた少女を精霊に凍らされ、さらには大切な幼なじみまで精霊によって凍り 付けにされた。怒りのままティナを掴んだその瞬間、ティナは溶けた。
 ───人間の温もりは、精霊を溶かしてしまう。
 そのことを、モリが初めて知った瞬間だった。
 キラキラと小さな小さな光になったティナは、ハルを覆う氷に溶け込んでいった。 そして今もなお、ハルを隠さぬよう、棺の縁を彼女は美しく飾っている。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 雪が、舞う。
 小さな雪が、一つ、ヒラリ。
 また一つ、ヒラリ。


「──・・良かったな、ハル・・・」


 再び同じ台詞をモリは口にした。
 ハルが反応を返すのを待っているかのように、じっと氷の中のハルに視線を注い で。
 けれど、応えはない。
 知らず零れるのは、溜息。それが真っ白に染まったその瞬間、自分が溜息を漏らし ていたことを知る。


『ほら、オレの言ったとおりだろ??』


 ふと、耳の奥で、懐かしい声が聞こえたような気がした。
 それは、彼がハルに期待した反応。そしてそれは、懐かしい思い出の一つでもあっ た。


『オレ、サンタさんに会ったんだ』


 閉ざした瞼裏に浮かぶのは、ハルの満面の笑み。
 ふ、とモリは笑う。
 その台詞は、氷の中で眠る彼が、いつだったか口にしたもの。
 あの時は、「お前はいくつのガキだ」と、ハルの妹─ケイと共に大笑いしたもの だった。
「あれは──・・」
 あれは、いつのことだったろうか。
 もう、ハルの両親はいなくなってしまっていたけれど、まだケイも居て、ハルも幼 い顔で笑っていて・・・。
「───今日だ・・」
 そう。あれは、12年前の今日。
「クリスマス」
 12年前のクリスマスのこと。
 14年前のクリスマスは、ハルの家とモリの家、二家族で賑やかに祝った。
 4年前までのクリスマスは、モリの家と、父母を亡くした兄妹と。
 3年前のクリスマスは、モリの家と、妹を亡くしたハルと。
 そして今は─────モリ、一人きり。
「────・・」
 胸に去来するのは、身を裂かれるような喪失感ばかり。
 それを堪えるかのように、唇を噛み締める。そして、その痛みを堪えるために、彼は 懐かしい記憶を探る。
 蘇るあの日の記憶は、思った通りモリの胸の中、こびりついて離れない痛みを和ら げ始めていた。



 ───それは、12年前のクリスマスのことだった。



 その名の通り、lily−white hamletは、純白に染まっている。も うすでに染まるところがないほどに白一色。それでも雪は降り積もる。
 雪が舞っている。空を、森を、総てを白に埋め尽くすほどの、激しい雪。
 今年も、ホワイト・クリスマス。
 どこの家も、その窓から穏やかな橙の光を零している。
 ただ一つ、明かりのついていない家があった。
 ──雪に呪われた家。
 村人たちは、密かにそう呼んでいる。
 昔は、若い夫婦と一人の男の子がその家には住んでいた。しかし、母親が雪の森 で、凍り付けになって発見された。男の子はやがて成人を迎え、嫁をもらい、二人の 兄妹に恵まれた。しかし、昨年の春先、雪崩で夫婦共々死んでしまった。
 だから、“雪に呪われた家”。
 遺された幼い兄妹は、懇意にしていた向かいの家が面倒を見ることになった。
 だから、“雪に呪われた家”には、今は誰も居ない。代わりに、向かいの家からは 橙の暖かな光と、煙突からは白い煙があがっている。子供たちの部屋からは、賑やか な声が零れていた。
 その部屋の中、窓にかじりつき、じっと外を見つめている少年が居た。昨年、両親 を雪崩で亡くした少年だった。
 白い肌に、男の子にしては長い黒髪。子供特有の大きな瞳には好奇心を宿した光が ある。それはまるで、夜空に浮かぶ一番星。少年の瞳は、穏やかな夜色をしていた。
 名は、ハル。
 春。雪深い村で、待ち焦がれ、誰からも愛される季節の名。
 晴。見上げては、誰もが待ち望む、空模様の名。
 その名前に相応しい、愛らしく晴れやかな笑みを浮かべたハルは、じっと外を見つ めている。
 そんな彼の後ろでは、ハルの幼なじみであり兄貴分でもあるこの家の一人息子─モ リがハルの妹─ケイとトランプをして遊んでいた。
 ハルよりも三つ年上のモリ。昔からハルはモリの後ろをついて回った。モリはとい うと、おっちょこちょいでどこかぬけているハルが、幼い頃は鬱陶しかったものだ が、今では慣れた。彼と、そして彼の妹、ケイの面倒を見るのは自分だとさえ思って いる。
 それは、あの日から。
 彼が両親を亡くし、両親が死んだことすら理解できていない幼い妹の前で、懸命に 涙を堪えていたあの日から。
 モリ─守。自分の名前が、誰かを守ることが出来るよう、強くなりなさいと名付け られたものだと教えられたあの日から。
 ケイのトランプの相手をしながら、モリはハルを時折伺う。
 ハルとケイの両親がいなくなって2度目のクリスマス。
 1度目のクリスマスは、両親とのクリスマスパーティーを思い出したのか、ハルは なかなか自分の家を出ようとしなかった。
 今年もまた、両親を思い出しているのだろうか。ハルは、朝からずっとああして窓 の外を見ている。時が経つのも忘れ、ひたすら空ばかりを彼は見つめていた。
 日が完全に暮れた頃、ハルが久しぶりに口を開いた。唐突に立ち上がり大声で言っ たハルの台詞は、モリとケイを非常に驚かせた。
「サンタだ!!」
 きょとんと、モリとケイは顔を見合わせる。
「何言ってんだよ、ハル」
「サンタ? どこー??」
 窓の外を指さし大喜びしているハルに、二人は駆け寄る。そして彼と同じように窓 の外を見てみたのだが、
「いないじゃないか」
 そこには、誰も居ない。
 いつの間にか、吹雪いていた雪はおさまり、今は一つ、また一つと小さな雪が、静 かに空から舞い降りて来ていた。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


「ハル、お前、まだ信じてるのか?」
 笑いながらモリが問うと、ハルは真剣な顔で答えた。
「いるんだよ!」
 それには妹のケイも笑う。
「もう、お兄ちゃんたら」
 妹のケイにまで笑われたハルはムッと口をとがらせ、「いるんだったら!」と声を 荒げた。その様子にモリは肩を竦める。
「プレゼントをくれてるのは母さんだぞ?」
「プレゼントをくれるのは父さんと母さんかもしれないけど、サンタは別にいるんだ よ!」
 どうやら、枕元にプレゼントを置いてくれているのが両親だと言うことは知ってい るらしい。それでもサンタクロースがいると言い張るハルに、モリもケイも首を傾げ るしかない。
 すると、ハルが言った。
「オレ、会ったんだよ。サンタクロースに」
「はァ? いつ?」
 これでもかと疑いのまなざしを注いでくるモリ。
 そんな幼なじみに、ハルはサンタクロースと会った日のことを思い出すように瞳を細めて言った。
「えっと・・・アレは、去年のクリスマス・・・ううん。去年のクリスマス・イヴの 日だよ」


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 ゆっくりと静かに雪が舞う。
 舞い降りてくる。
 white squareに。
 モリの上に。
 クリスマスを祝う村に。
 幼いハルの前に。
 あの日のクリスマスに───




 見上げると、そこには鉛色の空。
「重たそう・・」
 雲の中一杯に雪を詰め込んでいるのだろうか。今にも地上に落ちてきそうな、重い 空。
 吐き出す吐息は、すぐさま白く染まる。
 マフラーに手袋。セーターにコート、長靴。お向かいのおばさんが気に入ってい て、いつもいじっている長めの黒髪も、今はマフラーの中に隠れている。
 冬の次に訪れる季節の名を持つ少年─ハルが、shamrock squareに 一人佇んでいた。
「寒いなぁ・・」
 寒いけれど、家にいるのは嫌だった。だって、家には誰も居ない。半年前までは当 然のようにいた両親がいないから、家にいるのは嫌い。
 両親がいなくなってしまったことは淋しいけれど、不自由はない。お向かいのおば さんとおじさんが、自分と妹のケイを育ててくれている。幼なじみのモリも、優し い。去年は母親が焼いてくれていたケーキも、今年は妹とおばさんが代わりに焼いて くれている。父親と母親がいないだけで、あとは何も変わらないクリスマス。
 だけど───
「・・・お父さん・・・お母さん・・・」
 まだ、呼んでしまう。返ってきてくれないかと、呼んでしまう。
 ───ハルの心の傷は、まだ癒えていない。
 思い出すのは、父母との思い出ばかり。


“良い子にしてると、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれるの。”


 思い出した、母親の言葉。


“だから、良い子にしてなさいね。”


 優しい笑顔と、温かい腕。母親の隣に座った父親の、大きな掌。
 抱き締められて、頭を撫でられて、愛されて。
 とても幸せだった。
 ───あれが、紛れもなく幸せという物だった。
 今はもう、なくなってしまった。
「オレ・・・良い子にしてたよ?」
 母さんが、良い子にしてたらサンタさんがプレゼントを持ってきてくれると言った から、良い子にしていた。
「オレ、母さんが居なくても泣かなかったよ。父さんが居なくても泣かなかったよ。 ケイの前では。お兄ちゃんだから、オレ、泣かなかったよ? だから───」


 ───だから、サンタさん。
    お願い事が、あるんです・・・。


 願い事の代わりに、ハルの口から零れたのは、嗚咽。頬を、涙が伝う。幾筋も、幾 筋も。小さな手で懸命に拭うけれど、涙は、溢れてくる。止まらない。
「い、今は・・・いいよね」
 今は、泣いたって「悪い子ね」って言わないでしょう? 一人だもの。泣いたっ て、誰も不安にさせないでしょう? 悲しませないでしょう? 良い子でしょう?
 だから、今は泣こう。
「・・お父さん! お母さァん・・!!」
 春になるとシロツメクサに覆われる広場は今、真っ白な雪と、少年の泣き声に覆わ れている。
 ──春は、まだまだ遠い。
「どうしたんだい?」
 突然、ハルの震える背中に声がかけられる。
 雪を踏む音すら聞こえなかった。驚いてハルが振り返ると、そこにはおじいさんが いた。
「誰?」
 真っ白なおじいさん。
 真っ白な服に、真っ白な髪、真っ白なひげ。
「あ!」
 ハルは声を上げた。あごに蓄えられた長く白いひげ。ハルは、それを見たことがあ る。それは絵本の中の、
「サンタさん!!?」
 母親が買ってくれた絵本の中のサンタクロースも、白いひげがあった。服は赤くな い、白いけれど、きっとこのおじいさんがサンタクロース。
「ねえ、サンタさんでしょ!?」
 丸く大きな瞳を輝かせて自分を見つめている少年に、老人は皺だらけの顔に、更に 皺を刻んだ。
「そうかもしれないね」
 老人は笑って言った。するとハルはますます瞳を輝かせる。そこに、先程まであっ た涙は、もう見る影もない。それを見て、老人はますます目を細める。
「オレが良い子だったから来てくれたの?」
 その愛らしい台詞に、老人は頷いて見せた。
「そうだよ。君が良い子だから訪ねてきたのに、どうして泣いていたんだい?」
 優しく問うと、ハルは黙った。老人からそらされた瞳は、白い地面を写す。何かを 迷っているのだろう。せわしなく瞬く瞳。
「どうしたんだい?」
 言ってごらん。そう促すと、ハルはおずおずと口を開いた。
「オレ・・欲しい物があるんだ」
「わしに用意できるものならいいんだが。なんだい?」
「サンタさん! オレの父さんと母さんを取り返してきて! 神様の所から!!」
「・・・・」
 ハルの願い事に、老人はすぐには答えられなかった。
「オレ、良い子にしてたんだ! ケイのことだってちゃんと守ってるし、おばちゃん とおじちゃんの言うこともちゃんと聞いてるよ! 学校だってちゃんと行ってるし、 だから───・・」
 ハルは、途中で口を閉ざした。老人の表情で、総てを悟ったから。
「・・・・ごめんなさい。ムリだよね」
 小さな声で、ハルはもう一度謝った。視線を再び地面に落としてしまったハルを、 老人が痛ましげな瞳で見つめている。そして、優しい声が問うた。
「君のお父さんとお母さんは、死んでしまったのかい?」
「うん。雪が連れて行ったんだって、おばちゃんが言ってた」
「───・・」
 沈黙が落ちると、あたりには耳が痛いほどの静寂が生まれた。
 それを破ったのはハルの静かな声だった。
「ねえ、サンタさん。じゃあ、これを叶えて」
「何だい?」
「──雪を、降らせて欲しいんだ」
「雪?」
 それは、予想もしていなかった願い事。
 森は既に雪に埋め尽くされているというのに、まだ雪を望むハル。不思議そうに見 つめ返していると、少年は付け加えて言った。
「オレ、雪が好きなんだ。小さな粒の雪が少しずつ少しずつ降ってくるのを見てるの が好きなんだ」
「ほぅ。そうか」
 言って、老人は嬉しそうに笑った。雪が好きだという人間に会ったのは、久しぶり のことだったから。雪深い村に住む人間は、あまり雪が好きではないようだった。珍 しく出会った、雪が好きだと言う少年の存在が、微笑ましい。
「ねえ、お願い!」
 オモチャでも、勿論、亡くなった両親でもない、雪を降らせて欲しいと、ささやか なプレゼントを真剣に望むハルに、老人は近づく。そして、縋り付くような瞳で自分 を見つめている少年の頭を優しく撫でた。否、少年の頭の上の空を、ゆっくりと撫で て言った。
「よし。サンタさんが、プレゼントをしてあげよう。名前は?」
「ハル! 春のハル! 晴れのハル!」
 プレゼントをくれると聞いた途端に元気を取り戻したハルを見て、老人は声を上げ て笑う。
「良い名前だ。では、ハル、君が良い子にしていたから、プレゼントをあげよう」
 言って、老人は徐に掌を空にかざした。
 すると、
「────・・・わァ・・・」
 ハルの口から、感嘆の溜息が零れた。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 雪が、舞い降りてくる。
 一つ。また一つ。順番にヒラリ、ヒラリ、ヒラリ。
 それは、ハルが好きな雪。総てを埋め尽くす大粒の雪とは違う。小さくて、一つず つ舞い降りてくる静かな雪。
「これで良かったかな?」
 首が痛くなってしまうこともかまわず、真上を向いていると、老人がひょっこりと 顔をのぞかせてきた。その顔に、ハルは満面の笑みと共に頷いてみせる。
「うん! うん!! ありがとう、サンタさん!!」
 曇り空。そこから舞い降りてくる雪。しわくちゃの顔をして笑っているおじいさ ん。
 ハルも笑う。その笑顔が、老人をますます喜ばせる。
 幸せという名前をつけてもいいだろう。そんな、笑顔。心が晴れる、ハルの名前に 相応しい笑顔だった。
 老人は、その笑顔から視線を外し、ハルがしているように自分も空を仰ぐ。
「今日は、クリスマス・イヴ。素敵な日だ。こんな日に泣いているのは、淋しいこと だよ。だから、今のように笑っておいで」
「うん!!」
 元気の良い返事。空から視線をハルに戻すと、彼は自分を見つめていた。
「では、元気でいるんだよ」
 日が暮れ始めている。
 別れの言葉を口にした老人に、ハルは少し笑みを曇らせたが、すぐにその雲を取り 払って頷いた。
「うん! ありがとう、サンタさん! 来年も──・・」
 途切れた願い事が何か、老人はすぐに察することが出来た。思わず、笑みを零す。
 来年もちょうだい。
 子供だから許される、可愛い我が儘。
「分かったよ。ハル、君が良い子にしていたら、来年もまた、君の好きな雪を降らせ てあげようね」
「分かった! オレ、良い子にしてる!!」
 また、晴れる笑み。心が暖まる。
「良い子だね」
 そう言って笑いかけると、老人はハルに背を向けた。
「じゃーね──────────!!」
 その背を、ハルの明るい声が見送っていた。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 雪が舞う。
 それは、良い子にしていた少年へのご褒美。真っ白なサンタクロースからのプレゼ ント。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 翌年もまた、雪が舞う。
 その次も、その次も、その次も、その次も。
 クリスマスには、ヒラリヒラリと雪が舞う。


『ほら、オレの好きな雪が降ってる! あれはやっぱりサンタさんだったんだよ!!』


 そう言ってまた窓の外を見つめていた、幼い日のハル。
 そして、感嘆の溜息と共に呟くのだ。


『───・・綺麗だなぁ・・』


 窓から雪を見つめていた瞳は、今は固く固く閉ざされたままでいる。氷の中の彼 は、知っているのだろうか。
「・・・・雪、お前のサンタが降らせてくれてるぞ」
 知らせてみる。けれど、彼は瞼をあげようとはしない。
「見ろよ。お前の好きな雪だぞ」
 促してみるけれど、


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 雪だけが、舞い降りてくる。
 彼は、応えない。
「────・・・」
 揺り起こそうとしても、手は、彼に届かない。分厚く冷たい氷に、阻まれる。何度 やっても、何度やっても、阻まれる。


 ───届かない・・。


“良い子にしてると、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれるの。”


「どこが・・・ッ!」
 震える声は、寒さだけの所為ではない。
「お前のどこが良い子だよ・・・!!」
 どうしてお前は起きない──?
 どうしてお前は死んだ──?


 どうして──


「起きろ! 起きろよ!! 寝ぼすけ! 起きやがれ・・・ッ!!」


 どうして守れなかった──!?


「・・起きてくれよ・・」


 応えるのは、雪だけ。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 彼の愛した、雪だけ。


 二家族で祝ったクリスマス。
 幼なじみ兄妹と両親と祝ったクリスマス。
 彼と両親と祝ったクリスマス。
 ──そして、一人佇むクリスマス。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 “眠り姫”と祝う、クリスマス──


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 雪に染められた真っ白な世界。そこでただ一つ、自らの色を保つ常緑樹。その下に ある、美しい光に縁取られた氷の棺。その中で眠るのは、美しい人。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 雪の白も、この喪失感を、寂しさを、怒りを、苦しみを、取り除いてはくれない。
 それでも、


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 雪は舞う。彼の為に──。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・




『───・・綺麗だなぁ・・』




 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 そんな賛辞は、もうないのに。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 雪は舞う。
 今年も、来年も、その次も、その次も、その次も───・・


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 悲しみにくれる青年の肩を、慰めるように撫でながら。


 ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・ヒラリ・・・


 snow-white──純白。
 白が白に覆われていく。雪降る夜の、クリスマス。




『モリ、メリークリスマス!』




 瞼裏の彼は、幼い顔で笑っている。
 応える青年は、きつく瞳を閉ざしている。堪えているのは、怒りか、悲しみか、孤 独か。
 それとも、涙か──






「────・・Merry Christmas・・」










あとがき