小説処【えん】




『空』
 
 
綺麗だけど、怖い」
「白い雲。綺麗だね」
綺麗な夕焼けだな」
「俺の方も見て
見て! ウサギさん雲発見」
「ほら、見てみろよ。星だ」
 
「連れて行かないでくれ」
「見に行こう
「また、二人で行こうな?」
愛してるから、お願い」
大好きよ」
「ずっと、愛してるよ」
 
空を見上げて、
。俺は、嫌い」
呟く。
白い雲に乗せて、
を見るの、好きなのね」
届ける。
移ろいやすい空と、
「俺は、星も好きだ」
共に。
 
「俺は」
 
「私は」
 
「俺は」
 
「「「空が・・・・」」」
 
 
「嫌い」    「好き」    「好き」





『空を見上げて』
 
「空、好きよ」
 
また、だ。
 
「・・ま〜た言ってる」
「だって、ホントに好きなんだもの」
 
いつもいつも、空を見上げて彼女は言う。
暇さえあれば、空を見上げている彼女に、まだまだ子供だった俺は、いつも嫉妬した。 そう、空に。
今思えば、なんて俺はガキだったんだろう。笑える。 でも、それだけ一生懸命、俺は彼女のことを想ってたんだと思うと・・・笑えない。
 
「でも、アナタの事も、大好きよ」
 
俺が拗ねていることに気付くと、彼女はようやく空から俺に視線を移す。
そう言って、笑う。
その笑顔が、俺は好き。
 
「大好きなアナタと、大好きな空を見上げられる。私、幸せよ」
 
また、笑う。
その笑顔が、俺は・・・。
「・・俺も」
「何?」
「俺も、幸せ」
・・・拗ねるのは、もうやめた。
空を見上げている彼女の姿は、とても綺麗だったから。
 
「・・・綺麗ね、空。好きよ。大好き」
「そんなに好き好き言ってたら、そのうち空に吸い込まれていっちゃうんだからな」
 
笑いながら言った俺に、彼女も笑った。
 
「ふふふ。そうね。その時は、あの雲に乗れるかしら」
「雲に乗るなら、ダイエットしとかなきゃな」
「あら。失礼ね、もう」
 
笑う。二人で笑う。空を見上げて。
その時は、笑えたんだ。俺も、彼女も。空を見上げて。
そう。 俺たちは、確かに笑えたんです。白い部屋の中だって、空を見上げて。
 
いつの頃からでしょうか。
俺は、彼女が空を見上げるたび、不安を覚えるようになりました。
俺はまだ、臆病な子供だった。 でも彼女は、俺よりもずっと、大人でした。いつだって、空を見上げていました。 そして、繰り返すのです。
 
「空、好きよ」
 
ほら。今日もまた、いつものように言う。
空を見上げるその横顔は、綺麗。
空よりも、貴女が綺麗。
でも、儚い。
怖い。
 
「俺は、嫌いだ」
「あら、どうして?」
「だって・・・」
「だって?」
「だって・・・」
 
言いたくない。
言ったらそれが、本当のことになってしまいそうで、怖かったから。
 
口を噤んで、頑固に黙り込む。それを咎められないのは、子供の特権。 いつだって彼女は困ったように笑うだけ。
 
そして、またその目は、
「・・・こんなに綺麗なのにね」
空を、映すのです。
 
そんな彼女に、俺は縋り付いて、その視線を無理矢理俺に縫い止めることしかできません。
 
「・・・・アナタは、ホントに甘えん坊ね」
 
降ってくるのはやっぱり困ったような声。 それを申し訳ないとは思いつつも、きっと、ずっと、やめない。
だって、俺は、こうすることでしか彼女を空から奪い返すことは出来ないのだろうから。
 
どうかお願いです。
お願いだから、連れていかないでください。
 
空。
 
でも、俺の願いは、叶えられませんでした。
青い青い空が広がっていたあの日、ついに彼女は、空に連れて行かれてしまいました。 真っ白い壁に囲まれた病院で、彼女は、誰にも知られることなく、 いつの間にか行ってしまいました。 苦しむことなく行けたようですと、医師に言われました。 俺は、素直に喜ぶことができませんでした。
 
何故でしょうか?
・・・・さあ、何故でしょう?
 
「空、好きだったよな」
 
いつも隣にいた彼女が、今は居ない。
 
「だって・・・」
 
どうして、空が嫌いなの? 彼女は訊ねてきました。
あの日、俺は答えられなかったけど、
答えなかったけど、
 
「だって・・・」
 
答えなかったのに、現実になってしまった。
 
「だって、いつか貴女はあの空に消えてしまうんだから」
 
空は、俺から貴女を、攫っていってしまうんだから。
 
ぽっかり。
空に浮かぶ、白い雲。
 
ぽっかり。
胸にあいた、深い穴。
 
早くふたをして。俺自身を飲み込んでしまう前に、頑丈な頑丈なふたをして。
 
「ダイエット・・・した?」
 
ダイエットなんてしなくても、彼女は十分細かった。 雲にだって乗れるかもしれないくらいに、彼女は、細すぎた。
ああ。だから、連れて行かれたの?
俺の真上を流れていく雲。そこに、もしかしたら、彼女が乗っているかもしれない。
手を伸ばしてみたけど、掴めませんでした。
 
・・・・俺には、遠すぎたんです。
 
「・・来て・・」
 
俺には捕まえられないから、捕まえに来て。
 
「俺も、乗るよ」
 
一緒に、空に連れて行って下さい。
今度の願いは、叶えてくれたっていいでしょう?
 
「・・・降りてきて・・・乗せて・・・俺も・・・」
 
ああ。滲む。
空が、滲んで、うまく、見えない。
彼女の愛した空なのに。見えない。
俺は、泣いていました。空を見上げて。
 
『空、好きよ。アナタは?』
『…好きだよ』
 
嘘。
 
「・・・嫌い」
 
今は、泣こう。
白い雲を乗せた、空を見上げて。
 
−The end−



『白い雲を乗せて』
 
「わァ、真っ青」
 
あの日の記憶を探ると、一番に思い出したのは、空。
真っ青な空と、真っ白な雲でした。
 
「学校、早く行ってらっしゃい」
「お姉ちゃんは?」
「今日はお休みするから・・・早く行きなさい」
 
あの日、何故か私を送り出す母の声が、厳しかったのを覚えています。
 
お姉ちゃんは、病気です。
だんだん筋肉が弱っていって、最後には心臓が止まってしまうのだそうです。
お母さんは教えてくれなかったけど、私は知ってます。こっそり、調べたんだもの。
だって、私だけが知らないなんて、そんなのイヤだもの。
 
「私ね、雲になるの」
 
お姉ちゃんは、私と二人っきりになると、いつも言いました。
 
「雲になるの。だから、見つけてね? 絶対、空の何処かにいるから、見つけてね?」
 
いつも、言いました。
だから、私もいつも言いました。
 
「分かった。じゃあ、私はお姉ちゃんを空から下ろしてあげるね。空にいたら流れちゃうもの」
 
お姉ちゃんは、
「やめて」
いつも、そう答える。
どうしてと訊ねると、お姉ちゃんは、
 
「私、空が好きなんだもの。ず〜っと空に居たいの。 だから、下ろさなくてもいいの。 見つけてくれるだけでいいの」
 
その後、
 
「お母さんには、この事、秘密よ?」
 
そう言って、私たちは指切りげんまんをしました。
「「針千本飲〜ます♪ゆーびきった♪」」
約束しました。
 
私は、今でもこの約束を守っています。これからもずっと、守っていくんです。
きっと。
ずっと。
 
指切りげんまんをするたびに、お姉ちゃんの指は、段々、細くなっていきました。
最近では、お姉ちゃんは、滅多に学校に行きません。
でも、時々、車いすに乗って、お母さんと一緒に、私と一緒に、学校に行きます。
本当に時々。
その時々が、私は大好き。
 
一緒に空を見上げて、
「牛!」
「ソフトクリーム!」
「う〜ん。猫!」
「え〜、犬でしょ、アレは」
「お母さんはコヨーテだと思うわよ」
「「お母さん、マニアックだよ、ソレ〜」」
雲の形を、物に例えたりして。
ずっと空を見上げていた所為で、首が痛くなったっけ。
 
でも、楽しかったの。
 
 
「わァ、真っ青」
 
見上げた空は綺麗で。雲は白くて。
・・・また、お姉ちゃんとお母さんと、お空を見たいな〜。
 
でも、あの日、私は大好きだった空が、大嫌いになりました。
大嫌いになりました。
 
空がとても綺麗だったから、学校から帰った私は、お姉ちゃんとお母さんを散歩に誘いました。
でも、お母さんは駄目だと言いました。
お姉ちゃんは、絶対に賛成してくれると思ったのに、何も言ってくれませんでした。
お母さんは、泣いていました。
 
「・・・お姉ちゃん、寝てたんじゃなかったの?」
 
どうして泣いているのか聞くと、お母さんはもっと泣いてしまって。
ようやく私は気付いた。
 
お姉ちゃんが、死んだから。
私が学校に行くときにはもう、死んでいたから。
 
死が、永遠の別れだという事くらい、私だって知ってる。
なのに、何故、私は学校に行かなくちゃいけなかったの?
お姉ちゃんの傍に、居ちゃいけなかったの?
傍に居たかったよ、私。
 
「お姉ちゃんはね、お星様になっちゃったのよ」
 
違うわ、お母さん。馬鹿な事、言わないで!
見てよ、空!!
お姉ちゃんは、あそこに居るの。
あの白い雲、あれ、お姉ちゃんよ。
 
「お姉ちゃんは、雲になったの」
 
「違うわ。星になったのよ。雲はすぐに消えてしまうわ。だから駄目。星じゃないと駄目なの」
お母さんは、そう言いました。
 
でも、私は、知っています。
お姉ちゃんは雲になったんだってこと。
 
だって、お姉ちゃんが言ったんだもの。
 
『雲になるの。だから、見つけてね? 絶対、空の何処かにいるから、見つけてね?』
 
「・・お姉ちゃん」
 
ほら、いつだって見上げた空には、お姉ちゃんの形をした雲が居るの。
私が手を伸ばすと、ほら、お姉ちゃんも、私に向かって手を伸ばしてくれる。
 
私の真上、そこにぽっかりと浮かんでいる雲は、
「あれは、車の形をしているね」
違う。
違うの!
お姉ちゃんよ。お姉ちゃんなの。
いつだって私の真上には、お姉ちゃんが居るの! 居なくちゃ駄目なの!!
 
なのに、居ない・・・居ないの・・・・。
 
ごめんなさい、お姉ちゃん。
私、もう、空を見上げることは出来ないみたいです。
 
だって、届かないんだもの。
どんなに一生懸命手を伸ばしても、お姉ちゃんに届かないんだもの!
 
お空がお姉ちゃんを抱えて、帰してくれないんだもの!
 
『私、空が好きなんだもの。ず〜っと空に居たいの。 だから、下ろさなくてもいいの。 見つけてくれるだけでいいの』
 
お姉ちゃんはそう言ったけど、イヤよ。
せっかくお姉ちゃんを見つけたのに、どうして下ろしちゃいけないの? どうしてお話出来ないの?
どうして下りてきてくれないの?
 
また、一緒に、雲を見よう?
一緒に見ようよ。
 
「嫌い!!」
 
空なんて嫌い。
 
「大嫌いよ!!」
 
お姉ちゃんを帰して!
人攫い!!
お姉ちゃんを帰して!!
 
「帰して! 帰してよ〜!!」
 
無理ならせめて、
 
「・・流さないでぇ」
 
また、泣いてる、私。
 
「お願いだから」
 
白い雲を、流さないで。
あの日のお姉ちゃんの形をした雲を、流していかないで。
ずっと、私の見えるところに・・・・お空の隅っこでもいいの。
 
置いておいて。
 
流してしまわないで。
 
「意地悪!!」
 
少しくらい、私のお願いも聞いてくれたっていいのに。
意地悪!
 
それでも、空は、変わらず雲を流していく。
 
移ろい空は、雲を乗せて。
 
−The end−




『移ろう空と』
 
「愛してるわ」
 
綺麗な、貴方が。
 
「愛してるわ。ずっと」
 
綺麗に笑う、貴方が。
 
「貴方だけよ」
 
綺麗に見えた、貴方が。
 
 
嘘吐き。
 
 
「ごめんなさい」
 
綺麗な、貴方が。
 
「愛してたの。本当に」
 
綺麗に泣く、貴方が。
 
「さよなら」
 
綺麗に見えた、貴方が。
 
 
嘘吐き。
 
 
「人の心は、移ろいやすいのよ」
 
 
それは、真実。
 
 
「移ろいやすいの。空と、同じよ」
 
 
ああ、本当に、そうだ。
 
「雨・・・」
 
ついさっきまで晴れていた空は、気付くと鉛色。
俺の体を、叩く。容赦なく、叩く。
 
「・・・畜生、うぜェ」
 
額に張り付く前髪が、ウザイ。
 
忘れたい。
忘れられない。
 
綺麗な貴方。
 
「・・・見るな」
 
空よ、見るな。
涙を堪えてお前を仰ぐ、この哀れな男を、
 
「・・・見ないでくれ」
 
鉛色が薄れていく。再び顔を見せるのは、青。
 
「はっ。本当だ。はは、あはははははははははは」
 
本当だった。彼女の心が移ろったように、空も、気まぐれ。なんて、移ろいやすいんだろう。
 
笑う声が、震えている。
 
畜生。
 
いい。 今は、思い切り、笑おう。咎める者は居ない。
ここに居るのは、移ろう空と、胸に彼女の残した傷痕だけ。
 
「愛してるよ」
 
綺麗な、貴方を。
 
「愛してるよ。ずっと」
 
綺麗に笑う、貴方を。
 
「君だけだよ」
 
綺麗に見えた、貴方を。
 
 
本当に。
 
 
「どうして?」
 
綺麗な、貴方が。
 
「愛して、いなかったのか?」
 
綺麗に泣く、貴方が。
 
「待ってくれ!!」
 
綺麗に見えた、貴方が。
 
 
全部、嘘。
 
 
「人の心なんて・・・」
 
 
同じだ。
移ろいやすい空と、同じ。
 
嫌いだ。
 
どんなに美しく綺麗に澄んで見えても、所詮、あそこには綺麗なものなんてない。
 
「・・・あんなのの、どこが綺麗なんだ」
 
ただ、チリが浮いているだけでしかないんだ。
 
そんなものを、何故、綺麗だと褒め称える?
 
「なんでだ?」
分からない。
何故、困ったときに、仰ぎ見る?
何故、祈りを捧げる? そこにいったい何がおわすって?
 
「無意味だ」
 
何も居やしないじゃないか。
 
ほら、どんなに目を凝らしたって、何も見えないだろう?
 
「・・・おかしい」
 
それでも、みんな空を見上げるんだ。
あそこに、何があるって言うんだ?
あるのはただのチリだ。それだけだろう?
 
 
「・・・・翳ったな」
 
 
移ろう、空。
 
ついさっきまでご機嫌だった空が、へそを曲げたらしい。
突然、暗くなる。
何処から出てきたんだよ、まったく。
雲が、青を埋め尽くしていた。
 
移ろいやすい、空。
 
「・・・・あるとすれば」
そこに何かが見えるとすれば、
「移ろいやすい、人間の心だ」
 
信じることは出来ない。
決して、信じることは出来ない、移ろいやすいモノだ。
 
どんなに綺麗に見えても、結局は、空だって、移ろいやすい。
 
「嘘吐きだ」
だって、青空をたたえていても、雨粒を零すじゃないか。
「嘘吐きだ」
だって、青空をたたえていても、雪は舞うじゃないか。
「嘘吐きだ」
 
人間の心と、同じだ。
 
「そんなモノ、もう信じない」
 
絶対に信じない。
「信じるものか」
絶対に、信じない。
 
俺はきっと、傘を手放さないだろう。
もう、信じない。
どんなに晴れていても、信じない。
だから俺は、傘を持つ。
 
知っていますか?
見上げた空にあるのは、人間の心と同じ、移ろいやすさです。
それ以外には、何もありません。
 
「いや、」
 
強いて言うならば、そこにあるのは、チリです。
どんなに綺麗に見えても、
それは、嘘。
綺麗なモノは、ないのです。
移ろい続ける、チリしか、そこにはありません。
綺麗なモノなんて、そこにはありません。
 
 
移ろう前の青空は、本当に綺麗だった。
移ろう前の青空を、愛していたんだ。
今はもう、
 
「嫌いだ・・」
 
瞳にはもう映らない貴方は、本当に綺麗だった。
瞳にはもう映らない貴方を、愛していたんだ。
 
今はもう、
 
「・・大嫌いだ」
 
 
嘘吐き。
 
 
消えていく。何が?
 
消えていく。貴方が?
 
消えていく。俺が?
 
 
それは、移ろいやすい空と共に。
 
 
−The end−


「空、綺麗だ」
「届かないんだもの」
「ただのチリだ」
「俺は好きだ」
「だって、返してくれないんだもの」
「人間の心と同じだ」
「俺、いつも空を見上げてる」
「空を見るのは疲れたの」
「見上げたって無意味だ」
「空、好きだ」
「お姉ちゃんは、何処にいるの?」
「人の心は移ろう」
三 つ の 声 が
        ぐるぐるぐる                絡まる・・・ 
 
 ・・・絡まる
 
絡まる・・・ 
 
                    ・・・空回る・・・              からからから
 
「 「 「 本当は・・・ 」 」 」
 
「嫌い」    「好き」    「好き」
 
「それでも見上げるのは」
「それでも空の下にいるのは」
「それでも傘を持つのは」
「連れて行って欲しいから」
「探したいから」
「裏切りを信じたくないから」
 
空を見上げると映る。白い雲に乗せて、移ろいやすい空と目に見えぬ風とが届ける、空模様。
それを、
 
俺たちは、
私たちは、
俺たちは、
 
三人で、見上げている。
 
−The end−




がき