「わァ、真っ青」
あの日の記憶を探ると、一番に思い出したのは、空。
真っ青な空と、真っ白な雲でした。
「学校、早く行ってらっしゃい」
「お姉ちゃんは?」
「今日はお休みするから・・・早く行きなさい」
あの日、何故か私を送り出す母の声が、厳しかったのを覚えています。
お姉ちゃんは、病気です。
だんだん筋肉が弱っていって、最後には心臓が止まってしまうのだそうです。
お母さんは教えてくれなかったけど、私は知ってます。こっそり、調べたんだもの。
だって、私だけが知らないなんて、そんなのイヤだもの。
「私ね、雲になるの」
お姉ちゃんは、私と二人っきりになると、いつも言いました。
「雲になるの。だから、見つけてね? 絶対、空の何処かにいるから、見つけてね?」
いつも、言いました。
だから、私もいつも言いました。
「分かった。じゃあ、私はお姉ちゃんを空から下ろしてあげるね。空にいたら流れちゃうもの」
お姉ちゃんは、
「やめて」
いつも、そう答える。
どうしてと訊ねると、お姉ちゃんは、
「私、空が好きなんだもの。ず〜っと空に居たいの。
だから、下ろさなくてもいいの。
見つけてくれるだけでいいの」
その後、
「お母さんには、この事、秘密よ?」
そう言って、私たちは指切りげんまんをしました。
「「針千本飲〜ます♪ゆーびきった♪」」
約束しました。
私は、今でもこの約束を守っています。これからもずっと、守っていくんです。
きっと。
ずっと。
指切りげんまんをするたびに、お姉ちゃんの指は、段々、細くなっていきました。
最近では、お姉ちゃんは、滅多に学校に行きません。
でも、時々、車いすに乗って、お母さんと一緒に、私と一緒に、学校に行きます。
本当に時々。
その時々が、私は大好き。
一緒に空を見上げて、
「牛!」
「ソフトクリーム!」
「う〜ん。猫!」
「え〜、犬でしょ、アレは」
「お母さんはコヨーテだと思うわよ」
「「お母さん、マニアックだよ、ソレ〜」」
雲の形を、物に例えたりして。
ずっと空を見上げていた所為で、首が痛くなったっけ。
でも、楽しかったの。
「わァ、真っ青」
見上げた空は綺麗で。雲は白くて。
・・・また、お姉ちゃんとお母さんと、お空を見たいな〜。
でも、あの日、私は大好きだった空が、大嫌いになりました。
大嫌いになりました。
空がとても綺麗だったから、学校から帰った私は、お姉ちゃんとお母さんを散歩に誘いました。
でも、お母さんは駄目だと言いました。
お姉ちゃんは、絶対に賛成してくれると思ったのに、何も言ってくれませんでした。
お母さんは、泣いていました。
「・・・お姉ちゃん、寝てたんじゃなかったの?」
どうして泣いているのか聞くと、お母さんはもっと泣いてしまって。
ようやく私は気付いた。
お姉ちゃんが、死んだから。
私が学校に行くときにはもう、死んでいたから。
死が、永遠の別れだという事くらい、私だって知ってる。
なのに、何故、私は学校に行かなくちゃいけなかったの?
お姉ちゃんの傍に、居ちゃいけなかったの?
傍に居たかったよ、私。
「お姉ちゃんはね、お星様になっちゃったのよ」
違うわ、お母さん。馬鹿な事、言わないで!
見てよ、空!!
お姉ちゃんは、あそこに居るの。
あの白い雲、あれ、お姉ちゃんよ。
「お姉ちゃんは、雲になったの」
「違うわ。星になったのよ。雲はすぐに消えてしまうわ。だから駄目。星じゃないと駄目なの」
お母さんは、そう言いました。
でも、私は、知っています。
お姉ちゃんは雲になったんだってこと。
だって、お姉ちゃんが言ったんだもの。
『雲になるの。だから、見つけてね? 絶対、空の何処かにいるから、見つけてね?』
「・・お姉ちゃん」
ほら、いつだって見上げた空には、お姉ちゃんの形をした雲が居るの。
私が手を伸ばすと、ほら、お姉ちゃんも、私に向かって手を伸ばしてくれる。
私の真上、そこにぽっかりと浮かんでいる雲は、
「あれは、車の形をしているね」
違う。
違うの!
お姉ちゃんよ。お姉ちゃんなの。
いつだって私の真上には、お姉ちゃんが居るの! 居なくちゃ駄目なの!!
なのに、居ない・・・居ないの・・・・。
ごめんなさい、お姉ちゃん。
私、もう、空を見上げることは出来ないみたいです。
だって、届かないんだもの。
どんなに一生懸命手を伸ばしても、お姉ちゃんに届かないんだもの!
お空がお姉ちゃんを抱えて、帰してくれないんだもの!
『私、空が好きなんだもの。ず〜っと空に居たいの。
だから、下ろさなくてもいいの。
見つけてくれるだけでいいの』
お姉ちゃんはそう言ったけど、イヤよ。
せっかくお姉ちゃんを見つけたのに、どうして下ろしちゃいけないの?
どうしてお話出来ないの?
どうして下りてきてくれないの?
また、一緒に、雲を見よう?
一緒に見ようよ。
「嫌い!!」
空なんて嫌い。
「大嫌いよ!!」
お姉ちゃんを帰して!
人攫い!!
お姉ちゃんを帰して!!
「帰して! 帰してよ〜!!」
無理ならせめて、
「・・流さないでぇ」
また、泣いてる、私。
「お願いだから」
白い雲を、流さないで。
あの日のお姉ちゃんの形をした雲を、流していかないで。
ずっと、私の見えるところに・・・・お空の隅っこでもいいの。
置いておいて。
流してしまわないで。
「意地悪!!」
少しくらい、私のお願いも聞いてくれたっていいのに。
意地悪!
それでも、空は、変わらず雲を流していく。
移ろい空は、雲を乗せて。
−The end−